ミスター・ノーバディ

mrnobody.jpg



2092年。
遺伝子操作によって誰も死ななくなった世界で、
118歳のニモ・ノーバディは、最後の「死にゆく者」として、
その天寿を全うしようとしていた。

ネットワークでその様子が中継されるほど、
そんな彼の死に様に世界中が注目していた、
そんなノーバディの病室に、レポーターを名乗る男が忍び込み、
彼のこれまでの人生を暴き出しスクープをとろうとする。

するとノーバディは、まるでそれを待っていたかのように、
三つのまったく違う人生を平行して語り出す。

9歳の時に両親が離婚し、母親に付いていった先で起こった人生と、
父親と残ったことで、その先に起こった人生。

そこを起点に、それぞれの人生で、それぞれに3人の女性と出会い、
それぞれの人生を生きたことを語るノーバディ。

しかも、3つの人生は、時々に起こる、それぞれの分岐点での、
それぞれの選択によって、更にその先の展開の違う人生を
枝分かれ的に複数混在させ、ノーバディが “平行して” 生きてきた
パラレルワールドを語ってくる。

どれが彼の本当の人生だったのか、
もしくはどれも偽物の作り話なのか、
もしくはどの世界も本当で、
ノーバディはそのすべての人生を経験してきたのか・・・

そして彼は、その死に際にその中の一人の女性の名前を言って逝きます。


という、複雑怪奇極まりない映画でありました。
なぜパラレルワールド生きることができたのか?
もしくは、すべては夢か、単なる虚構だったのか?
それらにハッキリとした解答は用意されず、
かといって、ハッピーエンドということでもなく、
正直観終わったあとの後味の悪さといったらなかった。

でも、それは決して不快な感じではなく、
観る者が何かに気がつけなければ答に到達しないことが、
あからさまに感じられるという種類の後味の悪さ。
しかも、どうしてもその答を知りたくなるという、
哲学的で無限ループ的な作品です。

なので、私の得た答が、この映画の意図する正解と同じかどうか、
私には分からないが、念のためその答を書いておく。

それは、
「死なない世界では、選択すること自体に意味がなくなる」ということを、
知らしめるための作品だったというオチだ。

死ななければ、何度でもやり直しが利く。
けれど、一度きりの限りある人生だからこそ、
選択することに意味があるし、価値が生まれる。

そして、選択すべきそれぞれの分岐点において、
どれが最良の選択であったのか?
死に際であれば、その究極の答に行き着けると、
そういうことなんだと思う。

「あの時、ああしていたら、違う方向に歩き出していたら。
 今頃どうなっていただろう?」
そんな他愛もない想像を、真剣に突き詰めるとこうなる。

という作品でありました。
(そう考えると『アバウトタイム』の哲学版とも言えるね)

もう一度観たいか?と問われれば、
この先5年は観たくない。と答えるほど、かなりメンドクサイ作品でしたが、
観ておいて良かったとも思える。
私にとって、まさに “運命的” な作品でもありました。

オススメ度:60
  

関連記事
スポンサーサイト

テーマ:映画感想 - ジャンル:映画

2018.02.16 | コメント(0) | トラックバック(0) | 映画

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

«  | ホーム |  »

FC2Ad

プロフィール

埼玉のへそ曲がり

Author:埼玉のへそ曲がり
オートバイと
スノーボード。
近ごろ波乗り。

検索フォーム

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード

QR