FC2ブログ

(今現在の私が思う)サーフィンのこと

サーフィンについて話してみようと思う。

もちろん私はサーフィンが上手いわけではない。
ひいき目に見ても中の下。なんとか初級を脱した程度だ。

なので、サーフィンの本質的なことを話すなんて
おこがましいことはいたしませんが、
46歳からサーフィンをはじめた私の経験は、
サーフィンに興味があっても二の足を踏んでいる方々に対して
何かのキッカケにはなれるかもしれない。

だから「はじめたら突き詰めるまでやる」といった体育会系ではなく、
あくまでも仕事や家族が人生の中心にありながら、
そんな責任の要る人生に彩りやアクセントを持たせたい、
ひょっとして、一生の友となるような趣味を見つけたいとお考えの方々に
参考になるような話ができるかもしれないと思ってのことだ。


実はサーフィンはゲーム性が高い
サーフィンとは、ボードの上に立ってはじめてサーフィンがはじまる。なので、立たないと何も始まらないわけだが、それなのにテイクオフまでにひと悶着あるからややこしい。
流動性が高く、同じ形を維持できない水の上に浮かんだ板きれに立ち上がるためには、不安定な場所で、うつぶせの状態から立ち上がるバランス感覚よりも、その板きれを安定させる技術の方が重要になる。
スノーボードをやられている方なら分かると思うが、ある程度スピードに乗せた方がボードは安定する。サーフィンでもそれは同じで、ボードを安定させるためにはスピードに乗せる必要がある。そして、スピードを出すには波の斜面に乗る必要、そして、波の力を引き出す必要がある。
でも、山肌が描く斜面が固定されているように、波が作り出す斜面がいつも安定してそこにあるわけではなく、その日その時間、そしてその瞬間〜瞬間で、波のブレイクする場所、形、サイズ、速さは常に一期一会。だからサーファー達は「波に乗る」というよりも、「波を捕まえる」という表現を使う。
そんな気まぐれな波ではあるが、もちろんある一定の物理原則に則っているわけで、ときに野生の勘で、ときに戦略的に攻略することができるわけだ。
なので、最初はかなりの時間をかけてその原則と向き合う必要があるわけなのだが、仮説と結果の検証を繰り返すことで、再び似た状況に巡り会えれば、自分の意志でボードを走り出させることがきるようになってくる。
重力、推進力、ときに遠心力というふだん感じる事のない自然が生み出すチカラをバランスさせなければならないのは、自転車に乗れるようになるのと同じだが、それらに加えて揚力という千変万化する自然とのやり取りを組合わせ、瞬間、瞬間に最適解を導き続けるテイクオフ・ゲームは、その後始まるサーフィンと同じくらいスリリングで達成感のある、それ自体がすでにスポーツだ。

2016_0818-1.jpg

そうして走り出したボードは、波に根を張るようにガッシリと安定していて、身体を引き起こすのも容易だ。そうしてひと度ボードの上に立てってしまえば、その先には得も言われぬ快感だけが待っているので、一日のうちでほんの一回だけであってもテイクオフできれば、そこまでの苦労や辛い気分なんてふっ飛んで、そのままドツボにハマること請け合いだ。
だからこそ、テイクオフを安定させることが、初心者にとっては何よりも重要だし、それができればしばらくは楽しい気持ちでいられてしまうだろう。
私はそんなゲーム性の高い部分が楽しくて仕方がないし、検証すべき状況は一つとして同じモノはなく、常に千変万化しているので、その本質を掴むまでこのゲームに終わりはないところにも強い魅力を感じている。


海の上は社会の縮図
寄せてくるその波に乗れる者は、基本一人だけだ。
だから、そこには譲り合いと競い合いが絶妙の配分で混ざり合っている。ブレイクポイントは要するにエゴのるつぼだ。
もちろんサーフィンは歴史も長く、多くの方々がその場所を大切にしてきたので、ローカル達が築いてきたルールが存在する。ルールの必要性はここで言うまでもないだろう。楽しくやるためのものでもあるが、安全にも係わる重要なものだ。
もちろんルールを教えてくれる教習所なんかないので、新たなポイントに赴く度に自分で学び直す必要がある。手っ取り早いのはショップなどとの関係を深めることだが、すべてのポイントでそれをやっていたらお金が幾らあっても足らなくなる。私はまず遠慮がちに位置取りしながら、ルールや空気感を探るようにしている。そうしながら自分に合うポイント合わないポイントが見つかってきて、初めて行くポイントであっても、遠目に見ただけでなんとなく空気感が掴めるようになってきた。

2016_0818-2.jpg

でも、運転免許を持っていても、運転の仕方、交通法規の捉え方に違いがあるように、そのルールの解釈には個別性があることも確かだ。しかも、サーフポイントにそれらに一貫性をもたらす警察官のような存在は居ない。
だからとどのつまり、個人個人が自分の信じる理性や正義に則って、正しいと思われる判断を下し行動する必要があるわけだが、そこにいる全員に一貫したものは存在しないので、その解釈を巡っては少なからずいざこざが起こり得る。
それらへの対処法は敢えてここには書かないが、おもしろいのは結局のことろ、陸の上で生活するときと同じ方法でもって対処している自分に気づけることだ。つまり、ふだんの自分の社会との接し方に関して、悪いところを露骨に知ることができる。この歳になると少々遅きに失するが、それでも一生気づかないよりはましだろう。サーフポイントとは素晴らしい社会勉強の場所だと思う。


冗談抜きに神秘的な力に押されている気がする
そんな頭でっかちな私にしても、理屈なんか一切知らない状態であるにも係わらず、まさに何かの間違いでボードに立ててしまったから今がある。
はじめて乗ったのがスネ〜ヒザくらいの波で、しかもロングボードだったので、急かされることもなく、まるで時間が止まったかのようにゆっくりと波に押されて走り出し、そこからボードが止まるまでの時間は、永遠のように感じたあのときのことは、今でも鮮明に思い出すことができる。

2016_0818-3.jpg

自然の営みだけが生み出すことのできる “チカラ” に押し出される得も言われぬあの感覚は、何よりも私を海へと突き動かす最大の原動力だ。
それは最高に自然との一体感を得られた瞬間でもあり、誤解を恐れずに言えば神の存在すら感じた。あのスピリチュアルな感覚を1回でも多く、1秒でも長く感じたいと今でも思い続けて、気がつけば今日も海に向かっている。

ただ、上手くなればなるほどその時の純粋な感覚から離れていってしまうようで、あの感覚を忘れずにいたいと毎回毎回念ずるように強く願っていることも確かだ。
そんな神秘性とスポーツ性を併せ持つサーフィンだが、私はこれからもサーフィンで得られる神秘的な高揚感を大切にしながら続けていきたいと思っている。


何より海に浮いているだけで気持ち良い
私は苦しいこととか、面倒なことが大嫌いだ。
でも、苦しさのないこと、面倒でない人生には興味を惹かれない。
「休日は家でノンビリしていたい」、「寝坊したい」、何より「お金と手間の無駄を省きたい」という逆の意味で純粋な気持ちを超えるような強い思いがなければ、何をしても余計なストレスを溜め込むだけだろう。
海に行ったら行ったで、死ぬほど苦しいパドルアウトのあとに、一本も乗れないなんていう屈辱を味わうこともザラにある。それでもまた行きたいと思わされるのは、間違いなく海という存在のおかげだ。

1208_2013_10.jpg

天気のいい日に、渡る風を感じながら
海の上にプカプカと浮いているだけでも心地良い。
ましてや伊豆のように底まで澄み渡るきれいな海水ならば尚のことだ。

私も海水浴で訪れていた伊豆の白浜にあるサーフショップで、
ただの興味本位でロングボードを借りたのがキッカケだった。
はじめは夏の間の海水浴気分で構わないので、
まずは難しく考えず、気軽にサーフィンに触れてみてはいかがだろうか。
そうしてもし、私の言ったような感覚を持てたら、
是非更に前へと歩みだしていただきたい。

きっと身体にも、心にも良い経験となってくれることと思う。
  

関連記事
スポンサーサイト



テーマ:サーフィン・ボディボード - ジャンル:スポーツ

2016.08.30 | コメント(0) | トラックバック(0) | サーフィン

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

«  | ホーム |  »

プロフィール

埼玉のへそ曲がり

Author:埼玉のへそ曲がり
オートバイと
スノーボード。
近ごろ波乗り。

月別アーカイブ

検索フォーム

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード

QR