FC2ブログ

私の男(小説)

2016_0629-9.jpg

とある人間から、完全に抜け落ちてしまった理性や社会性。
ひょっとしたら知性すら失ってしまったのかもしれない。
そんな人間の存在を、どう思うか?どう感じるか?
この本で語られる物語は、思わず目を背けたくなるほどの不愉快さでもって
読む者を刺激してくる。

文学の役目とは得てしてそういった人間の暗部を明るみに晒すものなのであるが、
「近親相姦」という暗部は、本当に胃に来るような、猛烈な不快感を伴う。

タブーなんて横文字を使うとその罪の重さが希薄されてしまいそうで、
そうやって、読み手の私が主人公の犯した罪から逃れようとしていることに、
嫌悪感すら抱いてしまう。

(ただ、Wikipediaで「インセスト・タブー」と引くと
 面白い見解を読むことができる)

それに加えて、今作では「幼児趣味」という
更に輪をかけた悪意を伴って襲いかかってくる。
幼女を近親相姦する・・・・
戦争や、猟奇殺人なんかよりもずっと、人間を人間で無くす獣の行為だ。


そんな『私の男』を読むことにしたのは、同名の映画を観たからだ。

原作のある映画なんて死ぬほど観てきたが、
(コミックが原作である場合を除いて)映画を観終わったあとで
その原作を読みたくなったのは『ハンニバル』以来。
(『レッドドラゴン』は映画よりも先に読んでいた)

それというのも、
映画では台詞もぼそぼそと良く聞き取れなかったし、
何よりも淳吾と花という親子が、“なぜそういうことになったのか” を、
映画を観ただけではまったく理解することができなかったからだ。

そして、映画は花が9歳のときに奥尻島で震災に遭うところから、
24歳で結婚(もちろん別の男とだ)するまでを時系列に描かれたのとは違って、
原作は花の結婚からはじまり、奥尻から紋別に連れて来られるところで終わる、
逆順に遡るように組み立てられていると知り、小説の方に興味が沸いたからだった。

どんな悪事や罪にも、酌量されるべき「赦し」が必要であると、
その赦しは過去にあるのだと言いたいのか、はたまた、
幸せに(?)結婚するという結末を先に提示することで、不快感を減らそうとしたのか。
残念ながら、なぜ逆順に書かれたのかについては、
読み終わっても尚、私にその意図は伝わらなかった。
いずれにせよ、読み終わったあとでも、この男を赦す気になど到底なれない。

もちろん、現代社会だからこそ歪んでしまう人間関係というものもある。
そういった「歪み」を文学によって顕在化するときに、
近親相姦というのは確かに悪くない題材だ。でも、少女趣味はそれとは話が別だ。

村上龍の小説でもそういった類の人物は多く登場するが、
こちらに登場する淳吾という男にはポップさがまったくない。
変態も行き過ぎたファッションと捉えられなくもないが、
ここに登場する男女は、ただの狂人にしか見えない。

レイプではなく、同意の下でそういった関係が結ばれていて、
そもそも中学生との間に「同意」が成立するのか?ということを置いておいても
いかに震災でショックを受けていたり、育った家庭の方が本当の家族でなかった
という真実が隠されていたにせよ、9歳の女の子がそれを受け入れるとは
私には思えない。

結論としては、私は淳吾にしても花にしても、
そのものの考え方には、一切の理解はもちろん、
同情さえもすることができなかった。何かがおかしい。
もう少しでいいので「こういう歪みならあり得る」と思わせて欲しかった。
その空洞を私の想像でもって埋めるべきなのでしょうが、
映像という、より現実に近い表現方法でもって、
同じ物語を先に反芻していたので、私にそれを埋める作業は難しかった。

まあ、こういった逡巡に揉まれるのもまた、
文学の素晴らしい精神作用でもあるので、
そういう意味でも良い作品だと言えるのですが。

(映画の感想につづく)

関連記事
スポンサーサイト



テーマ:ブックレビュー - ジャンル:小説・文学

2016.07.28 | コメント(0) | トラックバック(0) |

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

«  | ホーム |  »

プロフィール

埼玉のへそ曲がり

Author:埼玉のへそ曲がり
オートバイと
スノーボード。
近ごろ波乗り。

月別アーカイブ

検索フォーム

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード

QR