2008年、そして私も持っている2011年につづいて今季
BurtonとCarhartt WIPのコラボレーションアイテムが発表された。
今回もBURTONのショップだけでなく、
Carharttのアンテナショップでも販売されるとのことで、
Burtonのもつハイテクによって
Carharttのもつオーセンティックな魅力を
過酷な雪山でも心置きなく満喫できるようにするというコンセプトは
今回も受け継がれているようだ。
今回の目玉は言うまでもなく
DRYRIDE 2レイヤーCordura®を使用したカバーオールのモデル。
私にこれを着る勇気はすでにないが、
この両者のコラボレーションの意図をまっすぐに反映したモデルとなっており、
こいつは問答無用にカッコイイと思う。
誰かこれ着て見せて〜〜〜
シリーズにはザックやグローブも含まれており
全方位のコレクションとなっている。
2011年に発売された私のジャケットはゴアテックス・インサートが奢られており
やり過ぎ感もないではないが、それはそれでこのコンセプトが分かりやすくて
ちょっと自慢でもある。
おかげでほとんど着ていないのに手放せないままでいるのだが、
こういう生まれながらに愛着を抱けるアイテムって
それだけで存在価値が高いと思う。
スポンサーサイト
テーマ:スノーボード - ジャンル:スポーツ
2018.10.31
| コメント(0) | トラックバック(0) | スノーボード
私はiPhoneを好んで使ってはいるが、
かといってApple Watchが必要なほどデジタルに依存してはいない。
それでもスマートフォンなしで不自由なく暮らせるかというと、
そこまでではない。
でもそれは、検索機能やスケジュール管理に
Apple Payなどの便利ツールに頼っている部分であって、
SNSなどのいわゆるコミュニケーションツールとしてはさほどでもない。
グループチャットやLINEは確かに便利だけれど、
電話とメールができれば何とか代替できるだろう。
近頃デジタルに疲れている人も少なくないらしい。
そもそもが内気で内向的なのに、妙に気遣いができて気が利く、
責任感の強い人種である日本人の場合、
無理してコミュニケーションしている部分も少なくないのだろう。
物質社会からの解放を意図する、いわゆる断捨離と同様に、
そういった呪縛からの解放を願う方がいてもおかしくはない。
そういった風潮を「デジタルデトックス」というらしい。
話は逸れるが、日本人はこういった風潮に対する
ネーミングセンスがずば抜けているといつも思う。
少々うがった見方になるが、
それは、言い得て妙なネーミングを配置すると、
そこに様々な免罪符が得られるからである場合が多い。
それを強く感じるのは、たとえば「フリーター」というネーミングだ。
こう言うと何かフリーターという職業や
選択できる生き方があるように感じられてしまうが、
もちろんそんなものはない。
ただの落伍者である場合だってあるので、
あたかも大きな選択肢のように感じさせてしまうのは時に危険だ。
それはさておき、
そんなネーミングによって止めるに止められないデジタルから逃避する
免罪符が得られ易いのだと思った。
そんなデジタルデトックスなタイミングで、
「フィーチャーフォン」の『INFOBAR xv』が発表された。
ガラパゴス化(固有の生態系化)したケータイと呼ばず、
単一目的に絞った機能にフィーチャー(特化)したフォンなわけだ。
老眼鏡をリーディンググラスと呼ぶように
これまた言い方の妙であります。
そんなわけで、最初にこのINFOBARの復活の話を聞いたとき、
「オレ最近これなんだよね〜〜カッコ良くてさ〜〜
かといってスマホとの二台持ちとか無理だし・・・」なんてうそぶきながら、
これを期にデジタルをデトックスできるのではないかと
私自身が期待してしまったわけだ。
結論を言うと、山間部での通信圏の安心感もあって
Docomoからは離れられないし、スマホの利便性を捨てきれない。
何より私はモノの訴求力という意味でも、まだiPhoneから離れられそうにない。
でも、今回のINFOBARの復活というニュースは、
少なからず私の中に潜むデジタルからの解放という願望に
さざ波を立ててくれた。
そんな、ニュースというよりも、私の目を醒ます
ちょっと面白い出来事でありました。
テーマ:日々のつれづれ - ジャンル:日記
2018.10.30
| コメント(0) | トラックバック(0) | 徒然
『2001年宇宙の旅』について、説明は一切不要だろう。
1968年に初公開され、それから50年ものあいだ
多くの映画関係者に影響を与えつづけた、まさにSF映画の金字塔だ。
今年、制作50周年を記念して
『ダンケルク』、『インターステラー』のクリストファー・ノーラン監修による
70ミリ・ニュープリント版のフィルム上映が、
国立映画アーカイブにて6日間のみ行われた。
ほどなくしてこのIMAX版の上映も決定し、
もちろん70mmのニュープリント版にも興味があったが、
私はIMAX版の方に気もそぞろになってしまっていた。
あの壮大な世界観をIMAXの巨大なスクリーンと
最高の音響設備で堪能したい。
私が初めて観たのはまだ小学生のときで、
実はスターウォーズのあと。
そのときは宇宙旅行について胸を躍らされただけで、
今作をほとんどゴジラやガメラと同じ目線で観ていたので、
この作品の底辺に潜む問題提起や芸術的考察に関しては
一切関知することなどできなかった。
それから度あることにリバイバル上映やビデオで観返してきて、
この作品の持つ本当の真意に気づけたのは大学に行く頃になってからだ。
そんな、一度観ただけでは理解しきれない
難解さもあってのことなのかもしれないが、
重要なのはこれだけ時代を経ても、何度でも劇場で観ようと思えることだ。
そんな多くの人々の思いがあってこそ、
何度もリバイバルで上映され続けてきたのだろうが、
まさかIMAX版を観る機会がやって来るなんて、夢にも思わなかった。
とはいえ、まだCGなんて手法が
ほとんど確立されていなかった50年も前のSF映画が、
最新の上映システムに耐えうるのか。
心配がないわけでもなかった。
しかして、例のリヒャルト・シュトラウスの
『ツァラトゥストラはかく語りき』が場内に鳴り響くと
そんな邪推はすべて打ち消されてしまう。
むしろ、フレーミング、音響、独特な間の取り方、
タイトルのタイポグラフィに至るまで、
140分間の上映時間の一瞬一瞬のすべてにおいて、
細心の美意識で貫かれていることを改めて知ることとなった。
そこにはSF的なサスペンスやミステリー、ホラーの要素などはなく、
人類の進化と、その延長としての人工知能の生存本能の芽生え、そして、
自己防衛本能による殺人(戦争)という人類が歩んで来た残酷で純粋な進化を、
キューブリックの疑問と問題提起として、一切の不純物なしに描いていた。
人類史上初めて目にする映像芸術であり、
だからこそ生まれ得たこの作品の唯一無二の存在感は、
IAMXであっても破綻させられることはなかった。
それどころか、今作が難解さ故に繰り返しリバイバルされてきたのではなく、
究極的に映像美を追求していたことで、ここまで人々に愛されてきたのだ
ということを、IMAXだからこそ理解することができてしまった。
上映前、まだ間接照明が灯る中、オペラの開演のように、
オーケストラのチューニングのような不協和な旋律が場内に流れ、
観客に着席を促す演出も施される。
そして、作品の途中で15分間の休憩を挟むのもオリジナル上映を踏襲している。
エンドクレジットが表示され、場内の灯りが点いても
シュトラウス2世の『美しく青きドナウ』は
最後の一小節まで止むことなく鳴り響き、
まさにオペラを嗜むような世界観が映画館に広がるところも
今回の上映ではそのまま再現されていた。
11月21日には4K URTLA HD&HDデジタルリマスターの
ブルーレイがリリースされるそうだが、
まだIMAX版の特別上映の終了まで一週間あるので、
映画の歴史が変わった瞬間を、是非劇場で体感して欲しいと思う。
(オススメ度:100)
テーマ:映画感想 - ジャンル:映画
2018.10.26
| コメント(0) | トラックバック(0) | 映画
« | ホーム |
»