アサシングリード

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『アサシングリード』は、『バイオハザード』、
古くは『トゥームレイダー』と同じく、ゲームソフトの映画化作品。

私にとっての『攻殻機動隊』と同様に、オリジナルを知っている方にとって、
大好きなコンテンツの映画化にはハラハラさせられたことだろう。

でも、私は『アサシングリード』に限らず、
ゲームの方は完全な門外漢でさっぱりワカラン。
なので、そこは逆に先入観なくフラットに観ることができるとも言えるので、
脚本の良さがとても重要だ。

そういった意味では、むしろゲームの映画化ってことの方が、
よく分からないぶん逆に気になってしまうのですが、
マイケル・ファスベンダー(『スティーブ・ジョブズ』『プロメテウス』)に、
マリオン・コティヤール(『ダークナイト・ライジング』)、
ジェレミー・アイアンズ(『バットマンvsスーパーマン』)と、
ハズレ作品には出演しないような方々ばかりのキャスト陣はとても豪華で、
そういった意味では心配ご無用。
映画館にまで観に行かないまでも、ビデオで観るにはハズレなしの大作だ。

と、自分でも、褒めてんだか、褒めてないんだか
分からないような言いっぷりだが、要はそのへんに位置する作品。
というわけで、レンタル開始前に配信がはじまったiTunesで、
一足先に観させていただくことにした。

中世スペインを舞台に、世界を変えるチカラを持つという「エデンの果実」の
争奪戦を繰り返したテンプル騎士団と、アサシン教団。

現代でもその活動を続けるテンプル騎士団は、アニムスと呼ばれる
遺伝子操作技術とVR技術を組合わせたような装置を使い、
アサシンの直系の末裔の遺伝子に残る記憶から、
「エデンの果実」の最後の位置を割り出そうとする。
その捜索が物語の主軸として進行する。

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なので、中世のスペインでの格闘シーンと、
現代で進行するヴァーチャル・リアリティ装置に翻弄される人間の姿が、
同時並行で描かれているのが見所。

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なんでも可能になるバーチャル世界と、
脳に直接影響を与える装置による、精神分裂を恐れる現実世界での葛藤が描かれる、
要は『マトリックス』的なお話だ。

なので、肝心になってくるのは、アクションシーンの構築と、
破綻のない中世スペインという舞台設定の再現に他ならないが、
そういった部分の完成度はかなり高く、製作陣の志の高さは充分に伝わって来た。
なかなかによく出来ている作品でありました。

なので、この完成度に加え、オリジナルに深みのような価値が加われば、
「尚面白くなっただろうに」と思わずにいられない。
オリジナルのゲームが好きな方、もしくはゲームにハマった方には、
かなり堪らない出来映えになっているのではなかろうか?

つまり、オリジナルに対して感情移入が出来ない私には、
イマイチ物語の奥行きが薄っぺらく感じてしまった。
なんだかんだ言っても、元は全世界売上1億本超の大ヒットゲームだ。
大勢のファンを動員するための作品だということだろう。
  

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2017.06.30 | コメント(0) | トラックバック(0) | 映画

コンビニ人間

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良い本だった。
本当に良い本だった。
こんなに良い本を、久しぶりに読んだとさえ思った。
『教団X』のあとだったから、余計にそう感じたのかな)

「本」とは何なのか?「本」に何を求めるのか?は、
それこそ千差万別、十人十色だろうから、
私のこの評価を押しつける気はサラサラないが、
ここのところ「小説のための小説」ばかりを読んでいたことを、
この『コンビニ人間』が私に気づかせてくれたことだけは、
皆さんにもお伝えしておきたい。

この本にはいわゆる題材というやつが、前提にある。

何を伝えたいのか?が前提にあると思った。

そんなのあたりまえだと思われるかもしれないが、
「小説のための小説」には、その前提を見えにくく、煙に巻くことが、
あたかも「クールだ」と言わんばかりの姿勢が、時に感じられてしまう。

真っ直ぐに見えるものは私にも見えるので、
書き手が斜に構えたり、物事をナナメに見たりすることは、
小説を生み出す上でとても重要な作業だ。

行間を想像で埋めることも読書の嗜みであることは認めるが、
そうして書き手が抽出した「伝えたいこと」は、
是非真っ直ぐに読み手に伝えて欲しい。
その上で、文体やスタイルでクールさを表現して欲しい。と、私は思う。

禅問答のような話になったが、
『コンビニ人間』の真っ直ぐさは、昨今では希有な価値があると思う。

ルールや社会の中に生きる人間として、
価値観の多様さを信じながら、自分の価値の輝きを信じながらも、
単一の価値に身を寄せざるを得ないという矛盾。

35歳の女性が、結婚もせず、定職にも就かずに
コンビニのアルバイトを続けると、様々な隣人達から、
その生活を是正するように勧告される。

確かにそれは恥ずかしいことかもしれない。
その年齢にもなれば、幼稚園児くらいの子供がいて、たとえ裕福ではなくとも、
夫と共に家族を守っていることが、“一般的" なのかもしれない。

でも本当にそうなのか?

子育てする家族にだって、女性にだって、
一般的で、単一な価値基準だけでなく、
それぞれに様々な価値や考え方があるのではないのか。

そして、なぜ人は他人にお節介をやくのか。

なぜ、わざわざその違いをあげつらって干渉してくるのか。

「あなたのため」と言いながら、
なぜその人のためにならない非難を繰り返すのか。

他人を見下すことで、安心できることでもあるのか?

稼ぎ口がコンビニのアルバイトだと、何か不都合でもあるのか。

コンビニで働くことと、大企業で働くことに、
どれだけ内容の違いがあるのか。

結婚してると偉いのか。

定職に就いていると偉いのか。

時に人は、収入の安定や、年金制度などの社会保障、
人類の繁栄、存続を理由に、カタにはまった人生を他人に対して強要してくる。

寄って暮らす社会を安定させるため、
不安定さを生む異物を排除しようと、半自動的に採ってしまう是正行動。

でも、特に趣味などなくても、食べるものに味などなくても、
それで良いと思えたら。

むしろ、コンビニで働く事が唯一の生きがいだと感じられたら。

その生き方を認めることができたら。

自分の中の、一体何が、そういった生き方を認めることを拒むのか。

私は社会のルールを破ってまで、他人の平安に揺らぎを与えてまで、
自由に生きることが正しいと言いたいわけではない。
平均的に生きることの正しさを否定する気もない。
ただ、これを読んで、
自分の寄って立つ真理に、今一度疑問を感じることができた。

お金、家族、恋愛、就職、結婚。
現代社会に生きる人間達が、あたりまえだと信じてきた “決まり事” が、
本当はどういう意味を持つのか?一体なんのための仕組みなのか?を、
365日、24時間、絶え間なく回り続けるコンビニのパーツになることが、
与えられた使命、最高の幸せだと感じる一人の女性の視線を通して
あぶり出されます。

これこそ「本」でなければ伝えられない物語だと思う。
ほんの150ページの作品なので、あっという間に読み終わってしまいますが、
そのページ数以上に考えさせられる一冊でした。

映画化される「本」が評価される時代に、
本当に読書が好きな人に贈りたい、オススメ度:100の小説です。
  

テーマ:読んだ本の感想等 - ジャンル:小説・文学

2017.06.29 | コメント(0) | トラックバック(0) |

リーディンググラス つまり老眼鏡を作ってみた。

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花粉症は心の病のような部分が少なくないと、ずっと思っていた。
だから、自分が認めさえしなければ、症状を抑えられると信じて疑わなかったが、
ひと度認めてしまえば、昨今の花粉症薬の優秀さを知ることになり、
一錠飲んでさえしまえば、そのラクさ加減を知り、
「自分はいったい何に抗っていたのだろう?」と、誰もが思い直すことだろう。

老眼鏡も同じだ。

やはり、使い勝手の良さに対する予感以上に、
「これを使いだしたら終わりだ」といった、強迫観念も強く、
何より、「私はジジイです」と世間に宣言しているようなモノなので、
花粉症を認める以上に、そのハードルは高い。

私が汚い格好をして街を歩いていれば、
不快な思いをする人や、何より、私に少ないながらも期待を抱く方々を
失望させることもあるかもしれない。とか、
思ってはみたものの、
私がジジイで困る人がいるのか?と、我に返ってみれば、
そんな人いるわけもなく、同じジジイっぽい症状でも、
鼻毛が覗いている方がよっぽど他人様に失礼だったりする事に気づく。

と、思い直すに至り、いよいよ老眼鏡を作ることにした。

実は、すでに数年前から軽めの遠近両用レンズを使いはじめていた。
それは、手許を見るための老眼向きの近距離レンズが、
レンズ全体の下1/3に設えられたものなのだが、
気づくと、その部分が目の正面に来るように、
眼鏡を持ち上げて書類を見るようになってしまい、
その仕草の方がよっぽどジジくさいと思うに至ったというのが真相だ。

とか、あれこれ言い訳が長くなったが、
使わなくなった手持ちのメガネフレームに、
老眼用のレンズを入れただけなので、金額的にも騒ぐようなことでもない。

なのであるが、実際に使いはじめてみれば、
特に本を読むときの快適さに関しては、もう別格であることは言うまでもない。
おかげで本を読む時間がずいぶんと増えた。
続けて長時間読めるようになったので、一冊読み終わるのが早い速い。
というか、本を読むのが楽しくて仕方がない。

本題からおおよそ逸れるが、
同じ本を、時間が経ってから読み返すと、
最初に読んだときとは違う感想をもつ経験はあったが、
一息に読み切ると、更に違う “読め方” をすることに気づいた。

今までは、空き時間を繋ぎながら、
もしくは3冊くらい同時に読んだりしていたので、
ときには、次に再開するまでに1ヵ月経っていた、なんてザラだった。
だから、そこまでの物語の経過を、思い出しながら読んだりしていたわけだが、
今は、この老眼鏡のおかげもあって、
500ページくらいなら2日くらいで読み終わるようになった。
中にはもちろんすでに読み終わった本を読み返すことも含まれるわけだが、
前回は数ヶ月かかって読み終えた本を、数日で読み終えたりもするわけで、
そうすると、憶えていた内容と少なからず違って感じ取れたり、
前回は気づかなかった示唆に気づけたりする。
もちろん、重ねた年齢のぶんだけ感想が変わることもあるのだが、
それとも違う発見があってちょっとうれしい。

目は良いが、本を読む時間がなかった若い頃と、
目は悪いが、本読む時間ならたっぷりある今とを較べれば、
老眼鏡の効能は考えなくてもすぐにわかる。

小さなプライドなんぞ、すぐにでも放棄して、
老眼鏡を手に入れるべきでありました。
いやはや、まさに人生の視界良好であります。
  

テーマ:楽しく生きる - ジャンル:ライフ

2017.06.28 | コメント(0) | トラックバック(0) |

安いU字ロックは想像以上に役に立たないという話。

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オートバイを保管している場所が区画整理されることになり、
ほんの数メートルだがオートバイを移す必要が出てきてしまった。

私は盗難防止のために、オートバイに何個もロックを施錠しているのだが、
ひとつはオートバイではなく柱に装着して、そこからワイヤーを伸ばして、
オートバイに施錠したロックに共締めして使っていた。

区画整理に伴い、その柱に留めたU字ロックも
外して移動させないとならないわけだが、
そこに保管するようになってすでに5年以上が経過し、
その安物のU字ロックは、雨風に晒され続けた結果、
すでに鍵も回らないくらいに固着してしまっていた。

こうなるともう切断するほかないので、
手持ちのグラインダーで切断することにした。

こういう経験ってなかなかないので、かなり興味深かったのだが、
やってみると、実にアッサリと切断できてしまった・・・
まさに一刀両断といった感じの呆気なさだった。

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かかった時間はものの1分。いや、途中様子見で作業を止めたので、
一気にやれば30秒もかからなかったかもしれない。

とはいえ、ディスクグラインダーの騒音レベルは鉄工所並みなので、
この手口で盗難に遭うとはなかなか思えない。
もちろん、ご覧のように、オートバイ用品店で数千円で手に入るような、
心許ない製品であることを考慮する必要はあるだろう。

でも、これほど容易く切断できてしまうとは、
かなり驚愕の事実でありました・・・・
せめて、せめて15分程度はその場に足止めできて欲しかった。
このレベルならば、いわゆる油圧カッターなどなら、
一切の音もなしに容易に切断できてしまうだろう。

数千円でも高すぎる。
これでは飾りにもならない・・・
ちなみに、車体側に取り付けているU字ロックとチェーンロックは、
ひとつ数万円もするものを使っているが、
それにしたって、どれほどのモノだか甚だ心配だ。
  

テーマ:バイクのある生活 - ジャンル:車・バイク

2017.06.27 | コメント(0) | トラックバック(0) | R1200GS

R1200GS - サスペンション交換

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長くGSに装着していたオーリンズ サスペンションだが、
オドメーターも10万kmを超えて、いよいよ寿命を迎えてしまった。
ショックアブソーバーのオイル交換は5,000kmが目安だという話もあるので、
寿命の域を遥かに超えて、すでに故障と言っていいレベルまで使い込んでしまった。
くれぐれも良い子の皆さんは真似しないようにしていただきたい。

ダンパー内に精密で繊細なオイル通路を持ち、
そこを流れるオイルの品質に性能が大きく左右されるため、
5,000km毎のメンテナンスが推奨されているわけで、私のように、
オーバーホールして組み直せば新品同様に戻せるという部分にだけ惹かれて
高性能サスペンションを選んで、そのままメンテも何もしないのでは、
まさに仏作って魂入れずだ。くれぐれも真似はしないように。

とはいえ、エンジンオイルの交換とは違って、
作業を専門家に依頼する必要があるので、その度に数万円の出費が必要になる。
高額なメンテナンスほど目を背けたくなるのは貧乏ライダーの常だ。
つまり、高性能サスペンションは、
私のような輩が迂闊に手を出していいパーツではないのではあるが、
だからこそ欲しくなる、典型的な高性能パーツでもあるわけだ。

そんなわけで、
HP2 Enduroのオイルシールが抜けてしまったフロントサスペンションと同様に、
いいかげん前後サスペンションともオーバーホールに出さないとならないわけだが、
予算的な話を棚に上げても、私のR1200GSはすでに通勤快速と化しており、
乗り心地や操作性はすでに二の次で、ある意味「走りさえすればヨシ」の状態だ。
それ故にオーバーホールなんて、時間も手間もお金もかかる事態は、
これまで後回しにしつづけてきた。

それでも今回、大好きな海に行くのを我慢してまで、
ノーマルサスペンションに戻すべきだと思ったほどなので、
どれだけ壊れていたのかは想像していただきたい。

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サスペンションを外せば自立すらできなくなるので、
オーバーホールに出すにしても、出さないにしても、
一旦はノーマルサスペンションに戻す必要がある。ならばいっそ、
久しぶりにノーマルの乗り心地を味わってみようと思っただけのことでもある。
どちらかというと興味本位。

ちなみに、
ノーマルパーツをヤフオクなどで手放してしまう方もいらっしゃるが、
(おかがで私は買い手として、とても重宝しておりますが)
こういったことがあるので、
私はノーマルパーツは絶対に手放さずに保管しておくようにしている。

このノーマルサスペンションは、もちろん新品同様というわけではないが、
新車購入後1万km以内でオーリンズに交換したので、
性能劣化はそれほどではないと思う。
まさにサスペンションにとってはセカンドライフの幕開けだ。

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前後ホイールの脱着をはじめとして、
リアはマフラーのリアエンドの脱着、
フロントは燃料タンクを外す必要もあって、
交換にはそこそこ面倒な重作業を伴うが、
慣れていれば前後併せても2時間程度で済むだろうと思う。

とはいえ、この作業をするのは実に10年ぶりで、
特に「テレレバー」と呼ばれる、複雑な機構を持つフロント側に関しては、
いちいち作業内容を思い出しながらになるため、
どうしても無駄な作業も多くなってしまう。

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サグを記録しながら作業を進める。
これをしないとオーリンズに戻すときに操作性を復元できない。

ナットやボルトが固着している箇所も多く、
加えて、手の入りづらい狭い場所での作業も多いため、結構メンドイ・・・
とかなんとか、やり繰りしながら、3時間ほどで交換作業は完了した。

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そんなわけで、久しぶりにノーマルサスペンションに戻して走らせてみた。

交換してすぐに感じるのは、「えらく車高が下がるな」ということ。
ノーマルは1Gの沈み込み量を多めにとっていることもあり、
車高が3cm近く下がるのが一番の違いだ。
オーリンズにハイシートの組合せだと、両足着けるとつま先立ちになるが、
ノーマルだと足の裏の前半分、
母子球のあたりで支えられるくらいまで車高は下がる。

これは、オーリンズがオフロードでの走破性を考慮して脚を長く取りながら、
ワインディングを含めたオンロードでの高速走行を見据えて、
それなりに締め上げたセッティングを施しているからとも思われる。そして、
「タンデムで荷物満載」なんていう使い方まで考慮する必要のあるBMWなので、 
かなりの高荷重下での運動性能まで確保した、
車高と減衰量のセッティングなのだろう。

なので、ノーマルに戻して、乗り味で一番に違いを感じるのは、
クイックさを適度に抑えた、大きく採られた安定成分にこそある。
オーリンズは市街地などの低速域でも、数倍俊敏に車体が反応するが、
それは、考え方によってはかなり不安定だとも言える。
もちろん危険/安全のレベルの話ではなく、好き/嫌いの範疇ではあるが、
それぞれに考え方が明瞭に顕れていて、較べるのがとても面白い。

各仕向地に合わせた独自のセッティングを施してから出荷されるBMWなので、
よく日本という国の交通事情を考慮しているな、と納得させられる部分だ。

とはいえ、それらはあくまでも “正常時” の比較の話だ。
故障状態からの復帰という観点で見回せば、ただ押し引きだけで、
オートバイがスムースに動いてくれることに、まずは驚かされる。
サスが壊れていると、それはタイヤがパンクしているのと
ほとんど同じ状態だというわけだ。

そんな状態でオートバイがまともに走るわけもなく、
ブレーキのレバータッチが悪くなるだけでなく、
実際に制動距離もかなり伸びてしまっていた。
コーナリング中もピョコピョコとピッチング方向に不安定になり、
コーナー出口でアクセルを開けても、トラクションが抜けてしまい、
リアステアがしっかりと働かないなど、
サスペンションが、「止まる」「曲がる」「加速する」のすべての領域に、
どれだけ影響しているのかを、今回は逆説的に学ぶことにもなった。

そして、それは燃費にも少なくない影響を与えていたようで、
1L/2kmほど燃費も向上した。

そんなわけで、言ってもマイナスの状態からゼロに戻っただけなのに、
毎日GSを操るのが楽しくて仕方がない!!
オートバイを新しく買い換えたような歓びだ。

オーリンズの、制御のきめ細やかな高級感溢れる乗り心地も捨てがたいが、
ノーマルの、安定しながらもソリッドな分かりやすい乗り味も、
それはそれで面白い。
オーリンズに戻すのは、もう少しノーマルを味わってからでも遅くはないだろう。
(お金もないし)

そんなわけで、しばらくこのまま乗り続けてみようかと思う。
  

テーマ:メンテナンス&ケア - ジャンル:車・バイク

2017.06.26 | コメント(0) | トラックバック(0) | R1200GS

『マグニフィセント・セブン』と『ガール・オン・ザ・トレイン』

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『マグニフィセント・セブン』かなりの粗挽きでした・・・

黒澤明の『七人の侍』を、西部劇にリメイクした『荒野の七人』の、
現代的解釈なのだが、日本人からすると、リメイクを追う毎に、
『七人の侍』のもつ大切な部分が、どんどん薄味になってきていて至極残念。

南北戦争後とはいえ、まだまだ差別意識の強かったこの時代に、
(タランティーノの『ジャンゴ』や『ヘイトフルエイト』のように、
 そのことを物語の伏線に使うような説明もなしに)
アフリカ系アメリカ人がリーダー格として存在することに、
少なくない違和感を憶えるが、興行収入的にもそうだし、
現在のアメリカという国の人種差別に対する繊細な対応の仕方だと思って、
そこは百歩譲ろう。

でも、そこに一度つまずいてしまうと、
あとのすべてがマジなのかコメディなのか疑わしく見えてしまう。
アフリカ系アメリカ人を重要な役として配置するのは良いと思うが、
デンゼル・ワシントンを主役に据えたのは、
そもそもの失敗のはじまりだったように思う。
(そう考えると『許されざる者』の
 モーガン・フリーマンの位置づけは巧みだった)

そんなわけで、出だしからつまずいてしまった私からすれば、
『七人の侍』の核心部にある
「多勢に無勢の、勝ち目のない戦いに、男達はなぜ挑んだのか?」
という、この物語の大切な部分まで濁らせているように感じてしまい、
どうにもまっすぐに観ることができなかった。

「自分はさておき、他人の不幸をみすみす放ってはおけない」
そのためなら命を惜しまずに悪を討つ。
それが「柔よく剛を制す」、「弱きを助け強きを挫く」の
日本人が大好きな義侠心の核心であるはずなのですが、
そのあたりの説明がかなり雑だ。というより曲解されている。

この7人は、荒くれ者ばかりの荒野で、
そこそこ上手いことやってる、イマ風に言うと「ちょい悪」で「勝ち組」だ。
それなのに、「100人相手に7人で殺し合いするよ」と誘われて、
「あいよダチ公」って感じの「軽いノリ」で、その自殺話に乗ってくる。
なぜに人助けに命をなげうつのか?の説明もないため、まったく共感できない。

唯一、リーダー格の賞金稼ぎであるサム・チザム(デンゼル・ワシントン)
にだけは、持ちかけられた、この無謀な話に乗っかる理由があるのですが、
それも義侠心にはほど遠い、ごくごく個人的な理由だったりする。

そういう命の投げだし方のほうが「クール」なのかもしれないが、
『七人の侍』のもつ、否、「侍」のもつ死生観からすると、
かなりかけ離れてしまっていて、そこがとにかく残念。
なので「黒澤明の『七人の侍』をベースにしている」とか、
インタビューで軽々しく言って欲しくはない。
と、JAPAN LOVEな私は思う。

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そんな今作で、唯一と言っていい見所は、
街を牛耳る悪党に愛する夫を目の前で殺され、
7人の流れ者達に、悪党どもの退治を依頼するエマ役のヘイリー・ベネット。
ジェニファー・ローレンスと、ケイト・ブランシェットを
足して二で割ったような魅力の持ち主だ。とてもステキです。

デンゼル・ワシントン、
クリス・プラット(『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー
ジュラシック・ワールド』)、
イーサン・ホーク(『ビフォア・サンライズ』『プリデスティネーション』)、
そして日本でもお馴染みのイ・ビョンホンなど、
脇を固める有名俳優陣の中にあって、男勝りでありながらも、
荒野だからこそ育まれる女性的な優しさに溢れるエマという女性を、
これしかないという強い存在感で演じておりました。


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そんなヘイリー・ベネットさんですが、同じ2016年公開の
『ガール・オン・ザ・トレイン』(日本未公開)にも、
影のある不倫妻役で出演していて、
そちらでの好演も印象深い女優さん。

ついでにそちらの話もしておくと、

自分のアルコール依存症によって、幸せな家庭を壊してしまった女性、
レイチェル(エミリー・ブラント『オール・ユー・ニード・イズ・キル
ボーダーライン』)。

毎日同じ電車で通勤しているレイチェルは、
車窓から見える一軒の家に住む、幸せそうな夫婦を眺めるのが日課になっていた。
その家は、レイチェルが離婚した元夫が、新しい妻と暮らす家のすぐ隣の家だった。
それもあって、理想的な夫婦像を、その家の夫婦に見てしまっていた。

ある日、そんな理想的だと思ってやまなかった妻が、
バルコニーで他の男性とキスしているところを車窓から目撃してしまう。
そして、その目撃のすぐあとから、その妻が失踪した事を知る。

深い失望感に包まれるレイチェルは、
妻が失踪してしまった夫に対して、自分を重ねて見てしまい、
事件にどんどん深入りしていってしまう。
しかして、アルコール依存症によって記憶が曖昧になってしまうレイチェルは、
自分が記憶のない間に、失踪した妻を殺害していたかも知れないと、
思い始める・・・・・・

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という最後に待ち受けるどんでん返しが見所になるサスペンスストーリー。
アルコール依存症という汚れ役を見事に演じて魅せた、
主役のエミリー・ブラントの演技も素晴らしかったですが、
物語のどんでん返しに繋がる重要な伏線として、
この物語の鍵となっていく情緒不安定な美しい妻、
メガン役はかなり重要な役どころ。

純粋さにも映る精神の不安定さと、
それによって放たれる誘惑的な魅力によって、
意図せずに周りの人間を翻弄してしまう微妙な役どころを
すっきりと演じきっておりました。

というわけで、
併せて観ればヘイリー・ベネットの演技の幅の広さが楽しめますが、
純粋に作品としてオススメできるのは
『ガール・オン・ザ・トレイン』の方ですかね。
『マグニフィセント・セブン』、まあまあ残念な1本です・・・
  

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2017.06.23 | コメント(0) | トラックバック(0) | 映画

中村文則 『教団X』

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宗教は阿片だ。
と、『ヘーゲル法哲学批判序説』の中で説いたのはマルクスだが、
要は、宗教という存在は、薬にも毒にもなると、そういうことだ。

もちろんこの『教団X』も、その名の示すとおりに、
それがあからさまな毒として作用してしまった、
オウム真理教事件を土台に描かれていて、
国家の転覆を謀るテロを起こすところまで同じだ。

なので、カルト教団がなぜそういった行動を起こすのか?に関して、
さしたる説明はないし、読んでいる方も「そういうものだ」と、
言わずもがなの前提として読み始められてしまう。

だから、なぜカルト教団が国家の転覆を謀るのか?に関して、
もっというと、「彼らは一体何が不満なのか?」に関して、
私自身、よく考えたことはないことにも気づかされる。

今作は、そんな素直で単純な疑問へ、独自の見解と共に、
狂気に満ちた解答を提示している。

それは、「神の存在への挑戦」であった。

様々な逡巡の果てに「神の存在」へ行き着く者は多いが、
さらにその逡巡を「神とは何か?」にまで推し進めれば、
そこに答などないことがまた、更に大きな逡巡を生み出していく。

そこへの答に、科学的な見地を見い出したことで逡巡を終えられた「松尾」と、
そこから更に、その存在を “確認” しようとまでした「沢渡」という、
二人のカリスマが率いる、二つの「教団」の考え方に沿って、
神の存在をあぶり出そうと試みたのがこの作品だ(と思う)。

突如行方不明になった恋人「立花涼子」を探すために、
単身教団に乗り込む、無職の男「楢崎」から物語ははじまる。
教団Xの実質的なナンバー2である、
アフリカの紛争地域で生死の狭間を彷徨った男「高原」が、
実は「立花涼子」の異母兄妹であることを楢崎は知る。
しかも、二人は兄妹でりながら “恋人同士” でもあった。
そうしたどこにでもある恋愛感情のもつれから話はスタートするが、
次々に語り手はバトンタッチして行き、
ふたつの教団の内外にいる人間たちを追いながら、
最後にはその核心部に隠れる教祖の「思想」にまで到達していく。

一見、人間ドラマっぽくもあるのですが、
言ったようにこの物語の本質は、神の存在への挑戦にあるので、
そんな人間ドラマに付き合う必要は一切ない。

この小説においてのドラマは、言ったように、
二人のカリスマの、神への考察(これがまた長い)を読み込ませるための
プロットでしかないので、この際、無視して構わない。

神の存在を確認するために「教団」という団体を、
その存在が現出するであろう状況を生み出すために「信者達」を利用した、
教祖、沢渡の秘密結社、公安から暗号で「X」と呼ばれる宗教団体の物語。

そんな今作を読み終わって思うのは、
科学を読み解くほどの明晰さを持つ博識なのに、
結局「神は罪を罰するために現れる」という、
それはつまり悪魔崇拝でしかないという、
あまりにも稚拙な発想に辿り着いてしまっている点が、かなり、
か・な・り、残念だ。

発想が稚拙であることを横に置いても、
そうまでして渇望した「神の罰」の執行を待たずして執られた、
沢渡の最後の行動は、甚だ疑問だとしか言いようがなく、
まったく理に叶っていない。

ということに、600ページ近い本作中の2/3を読み終えた頃には気づいてしまい、
そのあと、大々的なテロが実行され、物語はいよいよ佳境へと向かおうとするのに、
すでにそこへの関心は薄まってしまっていた。
まだ200ページも残っているのに、これはかなり残念な仕打ちであった。


最近、このテの小説を読むと気になるのが、映画化の可能性だが、
神学的な要素を一旦外して、秘密教団のテロ行為を軸に
物語を再構築(再整理)して映画化したら、
そこそこ面白くなりそうな気もする。
その反面、『21世紀少年』のような失敗を辿る気もしないでもない。

『21世紀少年』で描かれたような、
マインドコントロールされた人々の描写には納得がいかないからだ。

たとえそれが狂信であっても、盲信であっても、邪教であったとしても、
宗教に囚われた人間が、薬物依存で目が曇った廃人のようになるはずがない。

その目的、理由がなんであれ、目的を得た人間の見せる気配や表情とは、
「自分探し」とか言ってる “平凡な幸福者” とは違って、
それこそ生き活きと、颯爽としているはずだからだ。

でも、ああでもしないと、単に「仕事だから」と、
今の状況を守ろうとする普通の人間の方が、
打倒すべき「悪」に見えてしまうであろうこともワカランでもない。

つまりそれは、阿片でも何でも、合法でも脱法でも、
人々に宗教が必要になってしまう、逆説的な理由の解明でもあるわけだ。

信じる者は救われる。

と、今作が描きたかったのは、そういうことなのかな?と、
思い至ってしまった次第。
これこそ作者の思うつぼだったのかな?

さておき、私の期待ほどには良い本ではありませんでした。
オススメ度:30。ブックオフで見かけたら読んでみてください・・・
  

テーマ:読んだ本の感想等 - ジャンル:小説・文学

2017.06.22 | コメント(0) | トラックバック(0) |

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埼玉のへそ曲がり

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