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伊坂幸太郎『AX』

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伊坂幸太郎の『AX』を読んだ。
私は『グラスホッパー』しか観たことがないのですが、
伊坂幸太郎の作品は多く映画化されていた。つまり人気作家だ。
ということを知ったのはこれを読み終えてからだったので
先入観なく読めたのは良かったのですが、
そのためもあり読み終えるのにだいぶかかってしまった・・・
3ヶ月以上かかってしまった。
私の本に対しての情熱にかなりムラがあるコトも確かだが、
それ以上にこの小説の中盤が中だるみして
あまり面白くなかったせいも多分にある。


文房具メーカーの営業マンの三宅は、
実は業界でも一目置かれる腕利きの殺し屋「兜」として暗躍していたが
家に帰ればカミさんにまったく頭の上がらない恐妻家。

といった話で、殺し屋という強いメンタルが必要な稼業に身を置きながら、
家ではほとんどカミさんに遣いすぎるくらいに気を遣いまくるダメ夫。
という極端に強めのギャップが面白おかしく描かれている。

ちなみに題名の『AX(アックス)』とは、
山で使うアックスと同じ「斧」のこと。
今作では『蟷螂(とうろう:カマキリ)の斧』つまり
「弱者が自分の力をわきまえず強者に立ち向かうこと。
 身の程を考えず強がること。」の意味で使われている。

雌のカマキリは受精後に栄養を付けるためにオスを食べてしまう
という話を聞いたことがあると思うが、
その話にもかけているネーミングだ。

うだつの上がらない恐妻家の話を面白おかしく描いていて
最初は飄々としたその文体を含めて面白おかしく読めていたのだが、
「空気を読め」と「空気を読まず」を同時に言い放ってくる女性に
怯える男の話がさほども楽しいと感じる男がそうもいるはずもなく
私もだんだんと胸ヤケがしてきてしまい、中盤で一旦離脱してしまった。

2ヶ月以上鞄の中で放ったらかしにしておいたのだが、
他には一切することがなくなってしまった外出中の空き時間に
「仕方なく」読み始めると、私が中断したその直後で
主人公の兜はビルから身投げして自殺してしまった・・・・

「あれ????」主人公だったよな????

中盤以降、兜が家族のために裏稼業から足を洗おうと奔走する様子と、
自殺から10年経ったあとで父の死因に不信感を抱いた息子の様子が
平行して描かれ、時空を越えた親子の絆によって果たされる「答」が
最後には明示されていた。

中断せずにあと2ページ読み進んでいたら、
そのままその日のうちに読み終えてしまったと思えるほど
そこから急加速で面白くなっていた。

ミーハーな私なだけに、
彼の多くの作品が映画化されていることを知っていたら、
胸ヤケをおこさずに一気に読み切れたかも知れない。
いやはや、途中離脱したことも含めて、面白い読書体験となりました。
こういうこともあるんだよな。

というわけで、ひきつづき伊坂幸太郎で、
三浦春馬主演で今冬公開予定の『アイネクライネナハトムジーク』
を今は読んでおります。こちらもまた面白い。
近々そちらもご紹介させていただきます。
  

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テーマ:感想 - ジャンル:小説・文学

2018.08.30 | コメント(0) | トラックバック(0) |

希望の国のエクソダス

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2020年に向け加速する東京の街は、
ほんの少しのあいだ目を離しただけで
見慣れていたはずだった景色までガラッと変えてしまう。
まさに浦島太郎の気分だ。

もちろんそれが悪いことであるわけもないのだが、
なぜこうも寂しい思いに駆られてしまうのかを考えると、
やはりそれは、時代に取り残される恐怖感に他ならない。

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先日、完成間もない住友不動産六本木グランドタワーにオフィスを構える
企業と打ち合わせがあり、おかげさまで
セキュリティが厳重であるが故になかなか中に入る機会のない
話題の最新ビルに入ることができた。

そのビルのエレベーターの床面積は10.55㎡、
なんと畳6.8畳分に相当する広さで、
なんでもシャトルエレベーターと呼ばれるらしい。

いろいろなことに無感情になってしまうオッサンでも
これにはちょっと度肝を抜かれた。
本当は写メを撮りたかったのだが、
残念ながら取引先の前ではできなかった。

黒いダイヤル電話からプッシュダイヤル電話、そしてワイヤレス電話機、
果ては携帯電話、スマートフォンと、電話だけとっても
これだけの変化を生き抜いてきた東京オリンピック生まれの私としては、
さすがにもう驚かされるようなことは残っていないだろうと
髙を括っていたが、どっこいそんなことはないようだ。

ちなみにこの真新しいビルのオフィスで打ち合わせた内容も、
横文字やら頭文字だけ組合わせたような暗号が並ぶ
私にはほとんどチンプンカンプンな商材で
よりその商材の利用者を増やすために私が雇われているわけなのだが、
私がその時代の先端を行く最新のサービスから
一番遠い場所にいる人種だったりする。

しかして、この時代に生きる人にはこれがスタンダードであって、
私の知る以前の世界の方が異次元とうことになるので、
やはり変わってしまったのは時代ではなく
自分の方だったということになる。

できれば時代が変わらずに、
私でも活躍し続けられる状態のままでいて欲しいという願望が、
変わりゆく街並みに対してつい「あの頃の方が良かった」と
通り一遍な理由を掲げて拒否反応を示してしまうのだろう。

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昔読んだ村上龍の『希望の国のエクソダス』は、
ある日突然、日本中の中学生が学校を捨てて独自のネットワークを立ち上げ、
彼らの広範囲に及ぶ機動力を駆使した独自のニュース映像サイトを皮切りに
ネットビジネスを次々に立ち上げ急成長していくという
かなり時代を先取った物語であった。

自らの職業訓練校を興すまでになると学校に行かなくても価値のある人間、
お金を稼げる人間を生み出しながら、ASUNAROと名付けられた
そのネットワークは北海道に広大な土地を購入し、
30万人規模で集団移住し、そこで「イクス」と呼ばれる地域通貨を生み出し
独自の経済圏を作り上げ、「日本からの実質的な独立」“エクソダス"を果たす。

そのとき中学生たちのリーダーだったポンちゃんは、
日本中の中学生を不登校にした首謀者とみなされ、
重要参考人として警察からも追われる身であったのだが、
ネット経由のビデオ答弁ながら国会答弁に引っ張り出されることになる。
そこで、国会議員(大人たち)にいたぶられるかと思いきや・・・

「生きるためのほとんど全てのものが揃っていて、それで希望だけがない時代に、
 戦後の希望だけしかなかった頃と殆ど変わらない教育を受けているという事実を
 どう考えたらいいのだろうか?」

「大人にも同情すべきところはあるし、
 バブル経済を反省するのはいっこうに構わない。
 許せないのは、意気消沈して、昔を懐かしがって愚痴をいうことです。
 昔はよかった。ものはなかったが、心があった。
 そんなに昔がよかったのなら、どうしてそのままにしておかなかったのですか?」


とか、とても中学生とは思えないようなことを言い放って
逆に大人たちをぎゃふんと言わせてしまう。
とても痛快な場面であるワケなのだが、現実社会では様々な規制緩和や、
自由化の波に人々は翻弄されていて、だからこそこの小説があったわけなのだが、
読んでいる大人全員がぎゃふんと言わされてしまい、
当時はかなり後味の悪い内容であったように思う。


そんなことをすっかり見違えてしまった大手町で思い出した。

「そんなに昔がよかったのなら、
 どうしてそのままにしておかなかったのですか?」


ついついあの頃に逃げたくなる気持ちでいっぱいになる今日この頃だが、
なんとかここに踏みとどまってやろうと、
改めて自分を奮い立たせてみようと思った。
  

テーマ:日々のつれづれ - ジャンル:日記

2018.06.07 | コメント(0) | トラックバック(0) |

サラバ!

サラバ

西加奈子の『サラバ』を読んだ。
話題作だったこともあり、本屋で文庫本を見たときに迷わず買うことにした。
文庫本だと手が出しやすいのは、もちろんお値段の問題なのであるが、
『サラバ』は文庫本で上・中・下巻とつづく超大作。
3冊も買うとなるとお財布的にも大作だ。

そんなボリューム感とは裏腹に、中身は至ってフツーの生活が描かれていて、
こんなんで話が最後までもつんかい??と心配になるほどフツーの話が続く。

父親の赴任先であるイランで生まれた圷歩は、自由奔放に生きる母と、
それに対抗するように目立とうとする自意識過剰な三歳上の姉の貴子という
二人の女性に常に翻弄されて過ごしてきた。
できるだけ面倒を避けたい性格もあり、
自己防衛のために覚えた処世術と端正なルックスを駆使しながら
多感な幼少時代を乗り越えていったが、次の赴任先であるエジプトの地で、
ある日突然、親が離婚してしまう。
しかし、身につけてしまった処世術によって、
離婚の理由を誰にも訊けないまま大人になっていく歩。

そして、自己主張が強すぎるが故に、周りから疎まれ、
それによってさらにウザさを増していってしまう悪循環に陥った姉の貴子は、
最後は引き籠もりとなってしまう。

そんな姉や母から逃げるように、東京の大学に進学した歩は、
相変わらずの処世術で、当たり障りのない人生を送っていたが、
誰かに対する対処療法でしか行動の指針を立てられない自身を
どこか醒めた目で見つめながら、それ故に目標のない無軌道な人生に
迷い始める。

そんな主人公の独白で綴られるストーリーに加え、
地域のボス的存在だったおばあちゃんを教祖と慕う者たちが
勝手に作り上げた新興宗教「サトラコウコモンサマ」だったり、
巻き貝のオブジェに身を包んで都市部に出没しはじめた姉を、
前衛芸術家として世の中がもてはやしたり、
家族達の不吉な行動は、離れて暮らす歩にいつまでも降りかかってくる・・・


海外での生活であったり、新興宗教であったり、親の急な離婚だったり、
親が説明もなく出家しちゃったり、
決してフツーとは言えない状況もあるにはあるが、
作者が描きたいのは主人公の心模様の方なので、
物語の背景はあくまでも飾りでしかないと私は思う。

なので、主人公の歩の心模様がそういった特殊な背景に由来するように
描かれている部分がちょっと納得できない。というかスッと入ってこない。

特殊な出来事に翻弄されなくても、人生ってやつはややこしいものだと思うし、
どんな平坦な人生であっても、生まれいずる悩みってやつを
抱えて生きていくものだと私は思う。

とか思ってしまうほど、主人公に起こるフツーの出来事の描写が実に見事で、
まるで誰かの日記を読んでいるような、告白ともとれる文章には、
男女を問わず誰しもが引き込まれてしまうことと思う。

なので冒頭言ったように「これで最後までもつのか?」という心配は
下巻になって更に強まってきてしまうわけだが、
物語にカタルシスを与えようとちょっと無理して舵を切ったような
違和感を残したまま物語は幕を閉じてしまった。

主人公はあのまま何事もなくオッサンになっていった方が
良かったんじゃないのか?

異常だった姉が、あそこまで “まとも” になる必要はなかったのではないか?

不都合な状況を是正する力を加えずに、
そのまま放置して終わった方が「らしい」かったのではなかろうか?

フツーの描写が見事であるが故に
そのフツーという日常の異常性をニュートラルな状態に戻そうとした
今作のオチの部分は、逆に不自然な出来事であったように感じてしまった。

ただ、現実から逃れようとしたり、
臭いものに蓋をしようとすることは、誰だってしてしまうものだ。
そういった誰にでもある「後ろめたいこと」を真っ直ぐに捉えながら、
そして少し斜に構えた達観した文章で描いている部分は本当におもしろいし、
作者のもの凄い才能を感じさせる部分でもある。

言ったように、オチの付け方に関して私は腑に落ちていないのだが、
そこへと至る日常の切り取り方、伝え方を楽しむという意味において、
誠に小説らしい小説だと思いました。
  

テーマ:読んだ本の感想等 - ジャンル:小説・文学

2018.05.31 | コメント(0) | トラックバック(0) |

何者

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朝井リョウの『何者』は、
就職活動中の学生達の奮闘ぶりを描いた小説だ。
私自身も入社試験の面接官を務めるので、
学生達がどういった心構えや裏技的な準備を用意周到にして、
しかもどれだけの不安を抱えて臨んでくるのかなど、
興味深く読むことが出来た。


就職活動をはじめた、長く劇団員として活動していた主人公の拓人、
拓人の同居人で、就活開始と同時に学生アマチュアバンドを卒業した光太郎、
入学以来の友人で、留学経験もある、光太郎の元カノの瑞月、
瑞月の友人で、たまたま拓人・光太郎と同じマンションに住んでいた里香、
そして、里香の同棲相手の隆良、この5人で、時に対策をシェアしたり、
時に愚痴を言い合い、聞き合いながら、
それぞれの就職活動の進行を軸に物語は進む。

音楽活動に固執せず、自身の将来をシンプルに考える光太郎。
家庭の事情を抱え、自身の希望だけで就職先を決められない瑞月。
同じ劇団に所属していた盟友であるギンジが、自身が主宰する劇団を立ち上げ、
就職活動はぜずに今も積極的な演劇活動を続けていることに、
尊敬と軽蔑の両方の気持ちを抱く拓人。

そして、常に世の中を俯瞰して「誰かの言いなり」になることを嫌い、
物事を斜めに見ている隆良に、出来ることは恥も外聞もなく、
やり遂げようと決意するが、それが裏目に出てばかりの里香。

光太郎と瑞月はそもそも付き合っていて、
拓人は瑞月に少なくない感情を抱いて、
もちろん友人である光太郎への配慮もあって、
まっすぐに瑞月に向かえなかったり、
ただでさえ面倒な就職活動に、恋愛感情も複雑に絡んでくる。

そんなどこにでもありそうな、
就職活動における問題や悩みが展開されていくわけだが、
そんな仲間といえども、実はライバルであり、
蹴落としたり、成功を妬むべき敵であることもまた、隠しようのない事実。

そんな、すぐ隣にいる人間への尊敬と、それを認めるわけにいかない、
小さな尊厳がリアルワールドの裏側に潜むSNSの中で蠢き始める・・・・・

何者1



実は映画の方を先に観ていて、
面白そうだったので、原作も読んでみたのだが、
笑っちゃうくらい小説を忠実になぞるように作られていた。
それはこのキャスティングにも表れていて、
上手いこと配役したな、と心底感心させられるし、
役者の演技も原作の世界観とズレなく忠実で、つまりとても上手い。

なのですが、今作に関しては、
文字通りに「行間」を読める原作の方が数段面白かった。


言ったように、本作の主題は就職活動の悲喜こもごもを、
描いただけの群像劇ではない。

本音と建て前を使い分けながら、
自分らしくあろうとする「自分」と、あるべき「自分」を使い分けながら、
否応なしに、そんな「自分」を、ときに断固として、
ときに冷徹に否定されてしまう、就職試験という残酷な世界と、
冷静な観察者としての自分の分析力と表現力を、
見知らぬ誰かに認めてもらいたいと渇望する
ソーシャルネットワークの世界とを、
比喩として併行に比較し続けるところがこの作品の見所だ。

自分の夢を捨てずに社会に出ようとする者、
出ていく社会を非難しながら、適合したフリをしようとする者。

人の夢を「そういうの痛い」と笑う者。
人の夢を素直に「うらやましい」と言える者。

取り繕われた自分の本性を隠し、
理想の人材であると信じさせるという意味において、
確かに就職試験とSNSは似ている。

本当の自分を取り繕うとする者と、
等身大の自分を見つめ続ける者とが、
友人という枠の中で共存する姿を描くことで、
読む者にその是非を問う内容となっている。

「だって、短く簡潔に自分を表現しなくちゃいけなくなったんだったら、
 そこに選ばれなかった言葉の方が、圧倒的に多いわけだろ」

「だから、選ばれなかった言葉の方がきっと、
 よっぽどその人のことを表しているんだと思う」

「ほんの少しの言葉の向こうにいる人間そのものを、
 想像してあげろよ、もっと」

サワ先輩は拓人にこう告げる。

このセリフは140文字に制限されるSNSの世界と、
決められた時間の中で自己表現を求められる就職試験、
どちらにも当てはまる言葉だ。

誰かを悪く言ったり、下げることで、自分を上げて見せる、
もしくはそれによって自身の精神状態を安定させようとする行為は、
ネットでも現実でも最低の行為だ。

自分を誇張することもなければ、かといって卑下することもない、
他人を誹る(そしる)ことや、中傷することのない真っ直ぐな自己表現は、
リアルでも、ネットでも美しいということを、
この作品は説いているのだと思う。
  

テーマ:読書感想文 - ジャンル:小説・文学

2018.01.26 | コメント(0) | トラックバック(0) |

村上春樹『海辺のカフカ』

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新刊で読むものがなくて(正確には読みたいものがなくて)、
かといって、もう一度読み返したい作品もなく、
半分仕方なく、半分積極的に、まだ読んでいない
村上春樹の『海辺のカフカ』を読むことにした。

もちろんamazonで古本を探して買った。
ちなみに各巻1円。送料併せても2冊で426円・・・
発送の手間を考えても、輸送業者を儲けさせているだけのように思うが、
なんにせよ有り難いお話だ。遠慮なく享受させていただく。

さておき、
海辺のカフカは2002年の作品で、村上春樹の10作目の小説らしい。
15年前の作品だからどうというわけでもないとは思うが、
結論から先に申し上げて、
やっぱり村上春樹は苦手。という思いを新たにした。

好き嫌いではなくて、苦手というあたりで察していただけると有り難いし、
何より、語ることなら死ぬほどある村上春樹という作家の存在は、
日々のネタに困るブロガーにはとても助かる存在なので、
ただの言いがかりと取っていただいても構わない。

さておき、村上春樹は長いこと「読まず嫌い」を通してきた作家なので、
当時、話題性だけで読んでみた『ノルウェーの森』を除けば、
本格的に読み出したのは2013年発行の、彼の13作目にあたる
色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』からということになる。

というように、古い作品へ遡るように読んでいるので、
作家の時間軸に関する変遷とはまったく無関係。
そういう意味ではあまり「美味しくない読み方」かも知れない。

とはいえ、先に『海辺のカフカ』を読んでいたら、
『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』も『1Q84』も
読まなかったかもしれない(『騎士団長殺し』は読まなくてもよかった)ので、
私にとっては、ある意味これが正しい読み順だったのかもしれない。

というわけで、『海辺のカフカ』は村上春樹の基本的な特性が、
色濃く籠められている作品だと思った。

それは煙に巻くような、不可解で、答の無い物語だ。

村上春樹は「そうして不可解に感じた部分を読み返してもらえたら嬉しい」
と語っているようだが、私には無理だ。読み返したいとまでは思わない。
それほどに、読み終わった後の徒労感の方が大きく残る。

幽霊はいるのか?
死後の世界はあるのか?
そもそも死とは何か?

など、世の中にはどんなに大切なことであっても、
考えるだけ無駄なことも多いので、そこにいちいち答などなくてもいいのだが、
たとえば、この物語に出てくる13歳の「田村カフカ」の父親が殺されたことの、
ある程度の定義づけくらいはして欲しい。
そうでなければ人を殺したという自責の念に嘖まれながら、
長旅の果てに亡くなった「ナカタさん」の立つ瀬がないように思う。
ナカタさんは、あんなに良い人なのに。

そんな、あえて解答の提示を避けるような作風にあって、
逆に「誤魔化されている」「はぐらかされている」と感じるのは、
幻想的で、スピリチュアルな世界観以外のディテールが、
その文才と併せて、かなり精密に描かれていることの反動だと思う。

中でも私は、ひょんなことからナカタさんと旅することになる
「星野青年」のことが大好きだ。
特に、下巻の第46章の彼の独白の場面が大好きだ。

そういう情景豊かで、とても感情移入のしやすい良い物語を紡いでいる部分と、
読み手の創造力を試すような、そしてそれを弄ぶかのような部分が
混在していることが苦手だ。

もちろん、どこまでが “弄んでいるのか” の判断基準は、
人ぞれぞれだと思う。ちなみに、私の場合を申し上げれば、
『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』では、
灰田の父親が山中の旅館で出会ったジャズピアニストの緑川の話くらいしか、
その “弄ばれている” 部分はなかったし、
月が2つ存在する『1Q84』の世界は確かに異常だが、
それをひと度デファクトな状況として理解さえしてしまえば、
以降、おかしなことにも感じなかった。

なので、『色彩を持たない〜』『1Q84』、この二つの作品以外は苦手だ。
たまたまこの二作を先に読んだために、
遅まきながらも村上春樹を読み出したので、今さらその事実に気づいた次第。

ノーベル文学賞の候補になるくらいなんだから、
ズレているのは私の方なのだろうが、
それでもなんでも、苦手なものは苦手なのだ。

とか、書いていたら『1Q84』を読み返したくなってきたな。
つまり、まあ嫌いではないと言うことだ。
今後も村上春樹の新作が出れば読むだろうけれど、
これ以上、以前の作品を読むことはないだろうと思う。
そんなわけで、今後発表される作品が、私寄りの作品であることを願うばかりだ。
  

テーマ:ブックレビュー - ジャンル:小説・文学

2017.10.05 | コメント(0) | トラックバック(0) |

蜂蜜と遠雷



奥田 陸の『蜂蜜と遠雷』を読みました。

内容を一言で言うと、ピアノコンクールを舞台にした「スラムダンク」、
「キャプテン翼」、もしくは「ドカベン」。ひょっとして「美味しんぼ」。

すでにこの世を去った、業界に一家言ある世界的に著名な音楽家が、
彼のコンクールの参加に際して、
まるで遺言のような推薦状を持たせるほどの天才少年、風間 塵(かざま じん)。

かつて天才と謳われその名を世界に轟かせたが、
母親の他界を機に、ピアノへの情熱を失ってしまった、
これまた天才少女、栄伝亜夜(えいでん あや)。

次代を担う世界的な音楽家を師事し、すでに完成された音楽観を持ち、
実績も充分以上に積み上げてきている、
優勝候補筆頭のマサル・カルロス・レヴィ・アナトール。

この実力者三人以外にも、家族を持ち、年齢的にも、
そして環境的にも恵まれているわけではなく、
これが最後のコンクール出場になると決意するピアニスト、高島明石など、
個性豊かな三人の天才と、決して才能に恵まれてはいないが、
情熱を持って音楽に取り組む者たちが織りなす人間ドラマが
この『蜂蜜と遠雷』。

物語は「吉ヶ江国際ピアノコンクール」の、
エントリーから、第一次〜二次〜三次予選、そして本戦までを、
コンクールの進行に沿って描かれていく。
なので、本編のほとんどはコンクール開催期間中の数日の出来事。
それでも、上下二段組みのページレイアウトで500ページに及ぶ大作は、
そのほとんどが演奏中の無意識の意識と、
それを聴く者の感慨や感想で構成されている。

もちろん、文章だけで、実際に聴いているように表現することはできない。
実力者達の演奏を、客席に陣取るライバルたち、審査員らが評することで、
あたかもそれが自分の感想であるかのように読み聞かせながら、
素人には垣間見ることすら出来ない、高度な技術を解説する手法は、
そのまんまスラムダンク。

クラシックなんて1mmも聴かない、
ピアノコンクールなんて、その存在自体知らなかった私にとっても、
まるでスポ根ドラマのような、ライバル達とのしのぎを削る
切磋琢磨の様子と、互いを認め合う、高度な技術と感度を持ち合わせた
好敵手同士だからこそ共鳴し合える世界観には、
読んでいて素直に没入することができました。

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なので、読み進むにつれ、「オレは仙道」「私はゼッタイ流川」
「海南の牧もシブいぞ」「やっぱり花道でしょう!」といった具合に、
おのずとご贔屓の登場人物が決まり、
素直にその人物の活躍やその才能が評価されていく様を、
我が事のように楽しむことができるので、
このコンクールの行方と結果を、ドキドキしながら、
最後まで一気に読み進むことが出来ます。

つまり、かなりストレートな青春活劇と言っていい作品だと思います。
誠に分かりやすい一冊でありました。

ただ、音楽の表現技法や、演奏者の思い入れ、もっと言うと、
作曲家がその曲に籠めた思いや、曲が書かれた時代背景に、
情景描写などを説明する文章は、私にはあまりに詩的に過ぎ、
少々過剰表現に感じられてしまう部分もありました。
気持ち胃もたれ。よってナナメ読み。

逆に、そういった詩的な文章表現がお好きな方なら
尚楽しめる作品ではないでしょうか。

ふだん本を読まない方にも、とても読みやすい一冊だと思います。
  

テーマ:読書 - ジャンル:小説・文学

2017.09.28 | コメント(0) | トラックバック(0) |

コンビニ人間

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良い本だった。
本当に良い本だった。
こんなに良い本を、久しぶりに読んだとさえ思った。
『教団X』のあとだったから、余計にそう感じたのかな)

「本」とは何なのか?「本」に何を求めるのか?は、
それこそ千差万別、十人十色だろうから、
私のこの評価を押しつける気はサラサラないが、
ここのところ「小説のための小説」ばかりを読んでいたことを、
この『コンビニ人間』が私に気づかせてくれたことだけは、
皆さんにもお伝えしておきたい。

この本にはいわゆる題材というやつが、前提にある。

何を伝えたいのか?が前提にあると思った。

そんなのあたりまえだと思われるかもしれないが、
「小説のための小説」には、その前提を見えにくく、煙に巻くことが、
あたかも「クールだ」と言わんばかりの姿勢が、時に感じられてしまう。

真っ直ぐに見えるものは私にも見えるので、
書き手が斜に構えたり、物事をナナメに見たりすることは、
小説を生み出す上でとても重要な作業だ。

行間を想像で埋めることも読書の嗜みであることは認めるが、
そうして書き手が抽出した「伝えたいこと」は、
是非真っ直ぐに読み手に伝えて欲しい。
その上で、文体やスタイルでクールさを表現して欲しい。と、私は思う。

禅問答のような話になったが、
『コンビニ人間』の真っ直ぐさは、昨今では希有な価値があると思う。

ルールや社会の中に生きる人間として、
価値観の多様さを信じながら、自分の価値の輝きを信じながらも、
単一の価値に身を寄せざるを得ないという矛盾。

35歳の女性が、結婚もせず、定職にも就かずに
コンビニのアルバイトを続けると、様々な隣人達から、
その生活を是正するように勧告される。

確かにそれは恥ずかしいことかもしれない。
その年齢にもなれば、幼稚園児くらいの子供がいて、たとえ裕福ではなくとも、
夫と共に家族を守っていることが、“一般的" なのかもしれない。

でも本当にそうなのか?

子育てする家族にだって、女性にだって、
一般的で、単一な価値基準だけでなく、
それぞれに様々な価値や考え方があるのではないのか。

そして、なぜ人は他人にお節介をやくのか。

なぜ、わざわざその違いをあげつらって干渉してくるのか。

「あなたのため」と言いながら、
なぜその人のためにならない非難を繰り返すのか。

他人を見下すことで、安心できることでもあるのか?

稼ぎ口がコンビニのアルバイトだと、何か不都合でもあるのか。

コンビニで働くことと、大企業で働くことに、
どれだけ内容の違いがあるのか。

結婚してると偉いのか。

定職に就いていると偉いのか。

時に人は、収入の安定や、年金制度などの社会保障、
人類の繁栄、存続を理由に、カタにはまった人生を他人に対して強要してくる。

寄って暮らす社会を安定させるため、
不安定さを生む異物を排除しようと、半自動的に採ってしまう是正行動。

でも、特に趣味などなくても、食べるものに味などなくても、
それで良いと思えたら。

むしろ、コンビニで働く事が唯一の生きがいだと感じられたら。

その生き方を認めることができたら。

自分の中の、一体何が、そういった生き方を認めることを拒むのか。

私は社会のルールを破ってまで、他人の平安に揺らぎを与えてまで、
自由に生きることが正しいと言いたいわけではない。
平均的に生きることの正しさを否定する気もない。
ただ、これを読んで、
自分の寄って立つ真理に、今一度疑問を感じることができた。

お金、家族、恋愛、就職、結婚。
現代社会に生きる人間達が、あたりまえだと信じてきた “決まり事” が、
本当はどういう意味を持つのか?一体なんのための仕組みなのか?を、
365日、24時間、絶え間なく回り続けるコンビニのパーツになることが、
与えられた使命、最高の幸せだと感じる一人の女性の視線を通して
あぶり出されます。

これこそ「本」でなければ伝えられない物語だと思う。
ほんの150ページの作品なので、あっという間に読み終わってしまいますが、
そのページ数以上に考えさせられる一冊でした。

映画化される「本」が評価される時代に、
本当に読書が好きな人に贈りたい、オススメ度:100の小説です。
  

テーマ:読んだ本の感想等 - ジャンル:小説・文学

2017.06.29 | コメント(0) | トラックバック(0) |

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埼玉のへそ曲がり

Author:埼玉のへそ曲がり
オートバイと
スノーボード。
近ごろ波乗り。

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