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湊かなえ『贖罪』小説とドラマを観て思うこと

贖罪

大手企業の工場によって、財政も雇用も潤う地方都市。
本社からの転勤組は、そのまま都会からの移住者で
地方と都市部の生活水準の差を、そのまま持ち込んでやって来る。

(あ、今回はネタバレまで一気に書きますのでご注意ください)

得てしてそういった地域格差というのは、子どもたちこそ敏感に感じ取るもので、
都会からやって来たエミリちゃんに憧れながらも、
格差と少なくない距離を感じながら友だちを演じていた5年生の5人組も
そんな微妙な関係にあった。

ある日、校庭でバレーボールをしていた5人組に、
まったく面識のない男が近寄ってくる。
男はプールの更衣室の換気扇の点検を、
誰かに手伝ってもらえないかと少女たちに持ちかける。

男の頼みに応じてしまったエミリちゃんは、
その男に暴行された挙げ句、殺害されてしまう。

娘の死にショックを受け、ほとんど我を失った母親の麻子は、
犯人の顔を思い出せと、少女たちに詰め寄るが、
少女たちは揃って何も覚えていなかった。

贖罪3

それから3年後。
未だに犯人が捕まらない焦燥感と、喪失感が一気に爆発した麻子は、
「犯人を見つけなさい。それができないなら償いをしなさい」と
ほとんど呪いのような言葉を
中学一年生になったばかりの4人の少女にぶつけてしまう。

十数年が経ち、やっと自分のしてしまったことの重要さに気づいた麻子は、
3人を追いかけるようにして自身の間違いを正そうとするが、
麻子の呪縛に掛かった少女たちは、その償いという「約束」を果たそうと、
連鎖するように揃って殺人を犯してしまう。

贖罪4

一人は性嗜好異常の夫を殺し、
一番その呪縛を強く受けていたもう一人は教師になっていて、
学校に凶器を持って侵入してきた変質者を
エミリちゃん事件の償いとして殺した。

贖罪2

もう一人は、兄が兄の妻の連れ子に性的暴行を加えていることを知り、
失望からその兄を殺し、
もう一人は姉の夫を誘って義兄の子を妊娠し、
義兄が自分のモノにならないと知るや階段から突き落として殺した。

そうした一連の事件の中で、
彼女たちはエミリちゃん事件の犯人の記憶を蘇らせていく。

そうして浮かび上がった犯人は、麻子が学生時代に付き合っていた男、
南條であった。

麻子は友人の秋恵から南條を奪って付き合っていて、
突然、秋恵に別れを告げられた南條だけがそのことを知らなかった。
後日、麻子は南條の子供を妊娠したことを自慢げに秋恵に告げると、
秋恵は手首を切って自殺してしまった。

そのときに、秋恵は真実を告げた遺書を遺していたのだが、
現場に駆けつけた麻子がその遺書を持ち去ったため、
南條はその事を知らないままになってしまっていた。

その後、子供を作れない身体の大手企業の御曹司と麻子が出会い、
男は子供が作れないという社会的面目を隠すため、
南條の子供を妊娠していた麻子は、結婚という場所に逃げ込むため、
それぞれを利用する。そんな2人の間にエミリは生を受けていた。

それから10年後、
エミリの提案で、近くの廃屋にみんなの宝物を隠そうということになり、
エミリはそれが何であるのかも知らずに、
こっそり麻子が隠していた秋恵の遺書を家から持ち出してそこに隠してしまう。
そこにたまたまフリースクールの開校を目指し物件を探していた南條が訪れ、
奇しくも秋恵の遺書と出会ってしまう。
そうして10数年経って事の真相を知った南條は、麻子への復讐のために
エミリに暴行を加えて殺害してしまったのであった。

つまり、南條が性的暴行を加えたあとに殺したエミリは、
南條の子供であった・・・(以上は小説の物語)


・・・という、実に湊かなえらしい後味の悪いお話。

途中端折って書いた彼女たち一人ひとりの人殺しに至る経緯にも、
後味の悪い心理描写が、こと細かに描かれます。

そんな作品ですので、私に言わせてもらえば、性的虐待、
幼女虐待というタブーを正面切って描けなければ、
今作のまさに美味しい所を味わうことはできません。

それがたとえWOWOWという有料チャンネルであっても、
さすがにそのタブーを侵すことは難しいらしく、
いかにそこをぼやかすかに腐心している様子が窺えました。

そして、上に書いた私の拙い説明だと尚のこと、
物事の拙速さが際立って感じられると思うが、
それを差し引いてもドラマ版に「何で?」「急に??」と、感じてしまう事も事実。

湊かなえのサスペンス作品は、「たまたま」の出来事に、
とんでもない偶然が組み合わさる、万に一つも起こり得ないような
ほとんど寓話的な要素が含まれることが多い。
そこを巧みな構成力や文章力を使ったチカラ技で押し切ってしまう
物書きの「巧さ」があるのだが、そういった非現実的な部分を
現実にしないとならない映像として組み直すのは
かなり骨の折れる作業になると思う。

そのためか、もしくは尺の問題なのかどうかは分かりませんが、
設定が大きく変えられており、
最後の最後に特大の嫌な思いをしたくて読み進んだ読者の興奮は、
決して再現されることなく、
ドラマ版では火曜サスペンスレベルに収束してしまいます。

特に、ドラマ版では麻子がまるで魔女のように
彼女らを追いかけ回す様子が描かれますが、
小説では自身が子どもたちに言ってしまったことを後悔することから始まっています。
麻子はしてしまった罪の意識を感じながら、そこに更に追い打ちをかけるような、
残酷で衝撃的な事実を知らされるという、
1mmの救いもない奈落に突き落とされて終わります。

ドラマ版では、麻子を子供を失って気が違ってしまったサイコパスにすることで、
自業自得、因果応報という今作の物語の最終目的は保たれますが、
単純悪の成敗という分かりやすいオチに貶められているように思いました。

前にも書きましたが、湊かなえの描くサスペンスは、
最後の1行のためにそこまでの数百ページがあるかの如くの、
まさに大どんでん返しと言っていい結末が多く、
しかも、その後味の悪さを含めてもの凄いインパクトを読者に残します。

もちろんそんなインパクトを映像でも再現しようと
意気込む気持ちも良く分かりますが、
薄味にしないと描けないテレビの掟に縛られ、
残念ながら、湊かなえの美味しい所はほぼ失われておりました。

そういった縛りのない、できればR25指定の利くコンテンツで、
湊かなえの不条理な世界をきっちり映像化して欲しいと、
いちファンとして思うところであります。
たぶんそれを観たいと思う人はあまりいないとは思いますが…

_ _ _ _ _ _ _ _ _ _ さて来週火曜日の土と雪と:は _ _ _ _ _ _ _ _ _ _
あとから思えば大型で強烈な台風19号と21号の合間であった
貴重な週末に、例によって茨城の海に向かったといういつものお話でござんす。
  

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テーマ:ミステリ - ジャンル:小説・文学

2019.11.01 | コメント(0) | トラックバック(0) |

朝倉かすみ『平場の月』

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この小説を読むことにしたのは、
帯に「朝霞、新座、志木———」と見慣れた地名が載っていたから。
しかも、「50年生きてきた男と女には、老いた家族や過去もあり———」とあって、
しかも、嫁と子供に出て行かれた独り者が主人公であるらしい・・・
「おいおい、ほとんどオレのことじゃねーか」と瞬間思ったからでありました。

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中学、高校とそこそこ目立つグループに属し、
調子よく生きてきた主人公の青砥は、地元の印刷工場で働いている。
ある日、健康診断でちょっとした異状が見つかり、
精密検査を受けに行った病院の売店に、
中学時代にフラれた幼なじみの須藤という女性が働いていることに気づく。

須藤もまた、充分に後ろめたく思えるような過去を経て、
今は地元に戻って一人で暮らしていた。
そうして再開した二人は惹かれるでも離れるでもなく、
恋愛なんて価値感からはとうの昔に離れた50代らしい
微妙な距離感を保ち続けながら「幼なじみ」を続けていく。

青砥の検査結果には特に問題はなかったのだが、
今度は須藤の方にがんが見つかってしまう。

そうして青砥も須藤の大切さを実感し、
いよいよ二人は幼なじみから「そういう仲」になっていくのだが、
抗がん剤治療も1クール終え、2回目の検査を終えたある日、
須藤は突然、青砥に別れを告げる———

簡単に説明するとこんな話だ。

2019_0813-30.jpg

最終的に別れることを選んだ須藤の気持ちに
50代の、そして、都心から遠くもなく、かといって近くもない、
故郷以下、住み慣れた場所以上の街に
ぐるっと一周するように戻ってきた者特有の、
微妙な後ろ向きさ加減が垣間見える。

似たような人生を送るものとしては、骨身に染みると言うよりも、
何とも自身のはらわたをえぐられているような描写に
はっきりと嫌な感じの拭えない話でありました。

それは、生まれ育った場所も、生き方も中途半端な50代の心情を
見事に突いていたからに他ならない。
だからこそ、
相手を自分の勝手ごとに巻き込まないように思いやる気持ちと、
巻き込まれることで、自分の気持ちに正直になろうとする気持ちの間で揺れる
団塊でも団塊ジュニアでもない狭間世代の
オジサン、オバサンの事情には胸が詰まらされる。

50にもなると、どれだけ真剣に相手のことを想っても、
結局相手のことを完全に理解することができないという、
若い頃は勢いだけで突破できていた当たり前の真理に行き着いてしまう。

勢いや情熱だけで相手のやさしさに甘えたりせずに、
自身の生き様として強くあろうとする姿がなんともやるせない。

見渡す限りの畑だったこの場所が、
50年前のブームに乗って新興住宅地として生まれ変わり、
都心に近いこともあり関東の様々な場所から
この地に移り住んできた人々の、
子孫としての50歳の意味を伝えるための地元の描写はほとんどなく、
住んだことのない、この地域に馴染みのない人には
ちょっとこの微妙な空気感は伝わらないだろうな。と
感じるところが地元民としてはちょっと惜しい。

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別れを呑み込めない青砥は往生際悪く
1年後にまた会おうと約束をする。
そうすることで二人の絆をギリギリ保とうとするのだが・・・

果たして、再会した二人はどうするのか?
その時になって知る須藤の本当の気持ちを
青砥は理解できるのか、できないのか。
そして須藤は青砥の本当の気持ちを理解していたのか、していなかったのか。

男であっても女であっても、読む人それぞれに十人十色で答えは変わるだろう。
興味がありましたら、是非ご自身の答を読んでみてください。
『平場の月』なかなか50代の胃に来る小説でありました。

_ _ _ _ _ _ _ _ _ _ さて明日の土と雪と:は _ _ _ _ _ _ _ _ _ _
ヨセミテ国立公園にそそり立つ『エル・キャピタン』の南東壁を、
道具も命綱もなしで登りきる前人未踏の挑戦を記録し、
2019年アカデミー賞 長編ドキュメンタリー賞を受賞した
史上最高のスポーツドキュメンタリーと謳われる『フリーソロ』の感想です。
超絶に良い映画でした!お楽しみに。
  

テーマ:ブックレビュー - ジャンル:小説・文学

2019.09.12 | コメント(0) | トラックバック(0) |

リバース

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子どもの頃からずっと、波風立てず、目立たないように過ごしてきた
事なかれ主義でモヤシ的、そしてヲタク的な深瀬がこの物語の主人公。

大学を卒業し事務機の販売会社に就職して2年。
趣味と言えるようなものはまったくなく、
唯一、美味しいコーヒーを煎れることに心血を注いでいた深瀬は、
近所にできたコーヒー豆のショップで美保子と出会う。
そうして美保子は深瀬の人生初のガールフレンドとなるのだが、
その美保子の元に「深瀬和久は人殺しだ」という手紙が届く・・・

面倒や争い、場合によっては人目までをも避けて、
何事もなく生き抜こうと願ってきた
水を打ったように静かだった深瀬の人生に、
唐突に巨大な波紋が広がる。

ただのイタズラなのか?
殺人を告発する手紙の真意とは?
深瀬の過去に一体何があるのか?
誰がこの手紙を書いたのか?
どうして美保子のことを知っているのか?

湊かなえの小説には最後のオチに痛烈なカウンターパンチか、
もしくは強めの爆弾が仕込まれていることが多い。

それらは「どんでん返し」なんていうタイプのものではなく、
明らかに読者も巻き込まれる「自爆系」の時限爆弾で、
登場人物だけでなく、読んでいるこちらまで
とばっちりを受けるような種類の爆弾だ。

最後の1ページのためだけにすべての伏線が張られており・・・
いや、「伏線」という表現はこの場合すでに間違っているかもしれない。
なぜならそこまでの流れがすべて裏切られるように
思いもよらない完全な圏外から爆弾が投げ込まれてくるからだ。

ラストシーンに至るまでに、すっかり深瀬に感情移入させられており、
自分が登場人物と置き換わるような、
強制的に置き換えられるような状況で、最後の一行が突然爆発する。

他人事である以前に、小説の中の空想の話なのに、
我が事のように不快な気分を体験させられてしまう。

それほどに、最後の1ページまでの展開が超絶に面白く、
人物像が念入りに作り込まれた登場人物にすっかりと思い入れを持たされ、
その立場できれいな決着を願っていると、
それは突然に裏返し(リバース)になって砕け散る。

すっかりハマってしまった私は1日で読み終えてしまったほど
最後まで面白い本であることは確かだ。

だからこそ、最後の1ページの破壊力がスゴすぎる。

この破壊力になんとか反抗しようとしている自分に気づくと、
改めて自分はMではなくSなのだと自覚できたほど。

中でも『山女日記』のようなジ〜ンと胸を締め付けられるような
良い話が大好きな私なので、
ついそちら方面の結末を願って読み進んでしまうのだが、
そのおかげで余計に破壊力は抜群。

そういった小説もこういう裏切りのために書かれている
伏線なのではないかと勘ぐりたくなるほど、
湊かなえという小説家は作風のコントラストが強い作家さんであります。

_ _ _ _ _ _ _ _ _ _ さて明日の土と雪と:は _ _ _ _ _ _ _ _ _ _
クリント・イーストウッド監督の最新作であり、
久しぶりに自ら主演も務めた『運び屋』の感想です。
やはりイーストウッドの演技はシブい。シブすぎる・・・
  

テーマ:読書感想文 - ジャンル:小説・文学

2019.07.25 | コメント(0) | トラックバック(0) |

ユートピア

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他人の不幸は蜜の味。

とはよく言ったもので、他人を下げることで安心感を得てしまうことは、
悪いと知りながらでも自己防衛としてついしてしまう小さな罪のひとつだろう。

SNSなんてない時代から、
人は多かれ少なかれ噂話や誹謗中傷などを踏み絵やリトマス試験紙に使って、
コミュニティの中での自身の立ち位置や属性など、
周りの人々とのバランスをとってきたのだと思う。

出身地や、住んでいるエリア、世帯収入に至るまで、
コミュニティのレベルを逸脱したりすれば、
それは妬みや嫉みの対象となってしまう。

大手食品加工メーカーの工場があり、
そのメーカーの存在によって成り立つ地方の町が今作の舞台。

先祖代々の昔からその場所と共に生きてき来た人。
食品メーカーの転勤でよそからやって来た人。
そして、この町の海沿いの美しい景観に魅入られ、
ここを芸術の町として発展させようと考えた芸術家たち。
そんな3つの、立場や美意識、哲学の違う人々が、
町の中心にあるユートピア商店街で、
混ざるともなく交わっていく姿が描かれる。

昔あった未解決の殺人事件なんて、
サスペンスとしてのエッセンスもあるにはあるが、
それ以外は商店街で起こるちょっとした事故や事件がほとんどで、
得体の知れないバケモノや、政府の陰謀、
町にサイコパスが潜んでいたり、なんてことは一切ない。

どこにでもありそうな商店街の裏側でやり取りされる、
噂話という膨大な情報だけで物語が形成される。

その情報は特に脚色されているわけでも、
大げさに語られたりするわけでもなんでもない。
他愛のないただの噂話でしかないのに、
どうしてこれほどまでに読む者を魅了するのか。

それは、噂話を生み出す人間の想像力の逞しさと、その力の持つ恐ろしさを、
湊かなえという人は猛烈に肯定しているだからだと思う。

登行時の子供の列にクルマが突っ込み、
子供の一人が歩けなくなってしまう心的外傷後ストレス障害を
追ってしまうのだが、その子にだけ補償が出たことに関して、
「うちの子だって怖い思いをしたのに、あの子の家だけズルい」といった
噂話が語られる。

ただの僻みや日頃の鬱憤晴らし目的でされた、ただの軽口であるのだろうが、
その子供の親の立場に立って考えてみれば、
その噂話の方が事故自体よりもよっぽど恐ろしいことであることに気づける。

他愛もない狭い世間の噂話に少なからず苦しめられる登場人物、
そして、噂された人間もまた、誰かのことを悪く解釈してしまう。
人間のもつ負の想像力が小さなコミュニティの中で
次から次へと伝染していく様が描かれます。

そして、
美大卒の芸術という数値で顕せないことをやっている自分に酔って、
美術や芸術に疎い人間を見下す習性については
私にも思い当たるところがないでもない。
そんな表だっては肯定されないが、
意識の奥底で知らず知らずに周りと分断していく様子も披露され、
これがまた辛辣であったりする。

いつか町を離れていく人。
離れたくても一生この町から離れられない人。
ここを終の棲家と決めて、町を盛り立てようとする人。

そんな経済活動やプライドといった因子も絡みながら分断されていく親たち、
そして、分断されていく大人たちを見つめるその子どもたち。

四者の希望と絶望が、小さな田舎町で緩やかに激突していき、
舞台裏で進行していた無邪気な悪意によって、
物語は思いもよらないような結末を迎えます。

そんな、どこにでもあるような「理想郷」と呼ぶにはほど遠い町の片隅で起こる、
どこにでもあるような「他愛もない悪意」を集めた物語。

それなのにその事から目が離せなくなるのは、
やはりこの物語が、読む者の日常と絶妙にリンクするからだろう。

間違いなく傍観者なのに、なぜか当事者のように身につまされてしまう。
否応なく読む者を物語に引きずり込む巧妙な仕掛けが、
この小説のあちらこちらに仕掛けられています。

_ _ _ _ _ _ _ _ _ _ さて明日の土と雪と:は _ _ _ _ _ _ _ _ _ _
20世紀FOX版としてはこれが最後となる『X-MEN ダークフェニックス』の
感想をお届けしたいと思います。お楽しみに。
  

テーマ:読書感想文 - ジャンル:小説・文学

2019.06.27 | コメント(0) | トラックバック(0) |

物語のおわり

monogatarinoowari.jpg

大きな街へ行くには山を越えて行かなければならないような山間部の小さな町。
そこで暮らす中学生の絵美は、山の向こうにひろがる世界を空想しながら、
ノートに小説のまねごとを書きためていた。

実家の小さなパン屋を手伝っていた絵美は、
昼食のサンドイッチを買いに来ていた高校生の公一郎、
“ハムさん”と出会い、いつしか付き合うようになっていった。

取るに足らないような毎日を過ごしながら、
二人は親の公認をとりつけ、ハムさんと婚約を済ませていた。
そんなある日、街へ出て行った友人から、
有名小説家の弟子になる誘いを受ける絵美。
その誘いに乗るにはハムさんとの関係は断つ必要があり、
地元の町での堅実な生活を選ぶか、自身の夢を選ぶかの狭間で揺れる。

そして、町を出る決意をした絵美は、一人バスに乗って駅に向かうが、
そこには事を察したハムさんが待っていた・・・

というところで終わるコピー用紙に書かれまとめられた
私信のような小説『空の彼方』を、北海道へ向かうフェリーで、
萌という少女から受け取った智子。

智子は父親をがんで亡くしており、
智子自身も妊娠後にがんが発覚していた。
それでも子供を産むと決意した智子は、
思い出の地である北海道へと、フェリーで向かっている途中であった。

その唐突な物語の終わり方が、果たして意図された表現なのか、
もしくは書きかけなのかも不明な『空の彼方』であったが、
「現実を生きるか、夢に挑むか」という誰しもに訪れる
究極の選択で終わることに、智子はこの物語の伝えようとする意図を汲み取る。

そうして智子は、この物語の主人公の絵美が、
駅で待っていたハムさんに説得され、その場は一旦家に戻るが、
きちんとハムさんを説得して改めて夢に挑んでいく絵美を想像し、
それが『空の彼方』の結末であると想像する。

プロカメラマンになる夢を諦め、家業を継ぐことに決めた拓真は、
富良野のラベンダー畑で観光中の身重の女性にカメラのシャッターを頼まれる。
そのあとその身重の女性と、周辺のラベンダー畑を
自身の車に乗せて回ることとなった拓真は、その女性に
夢との決別を誓って訪れたのが今回の北海道旅行であることを告げる。

その身重の女性が前章の智子で、
別れ際に智子は『空の彼方』を拓真に託すことにする。
拓真は、芸術を志す者は夢を追う前にまず自身と向き合う必要があると
その未完の物語から答を得る・・・

そうして『空の彼方』は、
映像制作会社に内定が決まり、北海道に輪行に来ていた綾子、
学生時代に付き合っていた彼女が妊娠し、そのまま学生結婚して
苦労しながらも一人娘を育て、
久しぶりにオートバイで北海道にツーリングに来ていた木水、
少女時代に憧れた年上の男性への思いを、急激に冷めてしまうように無くし、
以後40才を過ぎるまで脇目も振らずにキャリアに没頭してきた
あかねの手に渡っていく。

そうして様々な人々に気づきを与える『空の彼方』を最後に受け取ったのは、
ハムさんこと、公一郎であった・・・
公一郎は実在しており、そしてこの物語は実話であったのだ。

そして、『空の彼方』には実はつづきがあることが知らされる。

というお話。

個々の登場人物の『空の彼方』への感想が、
それこそその人生ごとに違い、そのどれもに共感できてしまう。
それほどに、退屈にも思える変哲のない毎日が地続きのような人生と、
「夢」という不確かなものへの羨望という2つの人生の岐路は、
それを掴んでも、そこから逃げても、どちらにしても
その人生に意義をもたらすものだと、読む者に伝えてくる。

もちろん、最後に明かされる『空の彼方』の本当の結末にも
グッとさせられるとても良い話です。

湊かなえという作者の懐の深さを、
またしても痛烈に知らされた快作でありました。

_ _ _ _ _ _ _ _ _ _ さて明日の土と雪と:は _ _ _ _ _ _ _ _ _ _
2015年公開、鬼才テレンス・マリック監督作『聖杯の騎士』の感想です。
お楽しみに。  

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2019.06.20 | コメント(0) | トラックバック(0) |

山女日記

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ポイズンドーター・ホーリーマザー』で
その仄暗い世界観に今頃になってハマってしまった湊かなえの小説ですが、
すでに多くの作品が発表されており、
これからしばらくは次に何を読むかで悩むことはなさそうだ。

(ただ、本屋であれやこれやと物色している時間も嫌いではないので、
 それはそれで良いのか悪いのかは考え方による)

前にも書いたが、湊かなえの小説のもつ陰鬱な暗さに惹かれたので、
次に読む作品も、もちろんめっぽう暗いのを。と思っていたのですが、
作者別に並べられた湊かなえの棚を行ったり来たりしながら、
目にとまったのは、意外にも短編集の『山女日記』であった。

相変わらず他人(特に女性)を見つめるその観察眼は鋭いままではありますが、
今作はどこにも陰鬱な部分は見受けられない。
むしろどこまでも爽やかな心温まる物語たちが紡がれている。

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「妙高山」
「火打山」
「槍ヶ岳」
「利尻山」
「白馬岳」
「金時山」

と、各話に付けられた山の名前は、
山好きなら一度は聞いたことがある山の名前ばかりだ。

でも、それらは舞台装置として想像しやすくするためのギミックでしかなくて、
読む者に「その山に登ってみたい」と思わせるような描写もなくはないが、
山や観光地を紹介するような文面にはほとんどなっていない。
だからこの小説ではその題名にそぐわず、それらはあくまでも背景でしかない。

描かれるのは、様々な悩みや課題を抱えた女性たちが、
雨が降ったり、霧がかかって景色が見えなかったり、
インスタントコーヒーが泣きたくなるくらい美味しかったり、
道具の大切さを地上にいるとき以上に感じられたりしてしまう
山という場所だからこそ向き合える、自分自身と真正面に対峙する姿だ。

結婚、不倫、友情、同僚、姉妹、親子、夫婦、そして過去と未来。

「来なければよかった」と、
後悔を伴うような苦しい山行の果てに、
気持ちの良い景色や、美味しい山小屋の食事に出会うように、
山頂までの行程で後悔や反省、自身の中で渦巻く疑念に関して逡巡し、
その先に希望というゴールを経て、人々は下山していく。

その逡巡の道筋に、湊かなえにしか見つけることのできない、
小さいけれど、決して捨て置くことのできない、
一人ひとりが抱える重荷が浮き彫りになります。

そして、今作でもそれらの逡巡が、決して他人だけのものではなく、
読む者一人ひとりに(男であっても)思い当たるものばかりで、
身につまされながらも、自身も答を見つけられるのではないかと
読み手にも希望が与えられます。

山ガールなんて言うと、イメージ先行の軽薄なブームにも見えかねませんが、
山と無関係に都会で暮らす女性たちが山を目指しはじめたのは、
そんな山の持つ浄化作用に、女性ならではの感受性が
自然と反応した結果なのだろうと、これを読んで思いました。

(今いる場所よりも標高の低い目的地の山頂を眺めながら)
「上を目指すのに、下を見ながら言うのって、おかしいと思いませんか」
「なるほど。でも、目的地は過去の中にあるのかもしれません」

かつて20歳そこそこでバブル経済に翻弄され、
その後の20年をそのときの価値感でしか生きられなかった
「バブルの残骸をまとった」女性が、
その呪縛から解放され、本当の自分自身に出会う「火打山」の話が
私は中でも一番好きです。

「火打山」はご存じの通り「妙高山」のお隣の山。
実はこの話は前話の「妙高山」と続きになっていて、
主人公は代わるが、登場人物もクロスオーバーしている。
つまり、登場人物たちは“縦走”している。
山は舞台の背景でしかないと言いましたが、
そんな山好きを喜ばせる仕掛けも散りばめられていて、
湊かなえという人がかなりの山好きであることが伺える。

山好きの人に悪い人は(たぶん)いない。

そんな人にあんな仄暗い世界が描けるのかと思うと
余計にこの人に興味が沸いてきた。

というわけで、次はいよいよイヤミスの女王、
湊かなえワールド全開の『ユートピア』を読まないとなりません。
  

テーマ:読書感想文 - ジャンル:小説・文学

2018.11.08 | コメント(0) | トラックバック(0) |

ポイズンドーター・ホーリーマザー

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いよいよ湊かなえの小説に手を染めてしまった。

映画『告白』や、『白ゆき姫殺人事件』を観ていたので、
なんとなく私とは相性良さそうな予感がしていたのだけれど、
完全に波に乗り遅れたと感じているへそ曲がりの私は、
他人から「あ〜やっぱり読むんだ」と言われるのが嫌で、
今まで湊かなえという作家を意図的に避けてきたのだが、
このタイトルのインパクトにはもう抗うことはできなかった。

私は知らなかったのだが、なんでも“イヤミス"というジャンルがあるらしく
湊かなえはそこで女王と言われているらしい。
“イヤミス"とは「読んだ後でイヤな気分になるミステリー」のこと。らしい。
つまり読書後の後味の悪さ、
下っ腹のあたりに居心地の悪さを感じるアレのことかと勝手に想像する。

そもそも私にとって、文学とは心の暗部や、
ポッカリと空いた空間を埋めるモノだったり、その空間そのものだったりするので
それをわざわざ「嫌な思い」という表現で表すのは違っているように思う。

そんな私も近頃になって『村上海賊の娘』など、
エンターテインメント色の強い小説も読むようになり、
そういった方面の小説を主に読まれてきた方の場合だと、
湊かなえが“イヤミスの女王"になってしまうことも分からなくもない。

そんな私にとって初の湊かなえ作品となる
『ポイズンドーター・ホーリーマザー』である。
そのタイトルだけでなく、これが短編集であったことも
今まで湊かなえを避け続けてきた私の背中を押してくれたように思う。

それはさておき、湊かなえの人間観察眼と、
そこから広がる想像力の逞しさには尊敬の念さえ抱いてしまう。

それも空想的な想像力ではなく、
現実に存在する、そして、どこにでもいるような人間の内部や暗部へ
深く深く潜っていくような観察力で、
そのすべての想像域に絶対的な現実感が伴っているところがすごい。

正義、悪意、国家、民族、宗教、そして家族。

人にはそれぞれの価値観があって、
どちらか一方の考えや主義・主張だけでは、事の善悪を計ることは決してできない。

誰かの正義は誰かの権利を奪っているのかもしれない。
誰かの愛は誰かを傷つけているのかもしれない。

そんな、誰しもが空気を読んだ気になって他人に押しつけてしまう
“余計なお世話”を、異常者や気の利かない人間がするのではなく、
ごく一般的で普通の人々がしでかしてしまう様を、
ごく自然に読む者の前に提示してくる。

でも、そもそも価値感が食い違っているのだから、
その双方の言い分を双方に納得させるのは、本来至難の業であるはずなのだが、
湊かなえという作家は、そんなすれ違いや矛盾点を、
誰の中にも眠る葬り去ったはずの記憶を呼び覚まさせることで、
とても簡単に、それでいて純粋に読む者に明示してくる。

独身のまま親の望むとおりに生きてきて、いまも実家で暮らす姉。
姉とは違い気ままに暮らし、異性に対してもあけすけな妹。
姉には厳しく言う母親も、そんな妹に対しては理解を示すフリをして
言いたいことを何も言うことができない。
そうしてできちゃった婚となり、出産のために実家に戻って来た妹は
姉の苦労など意に介さずに実家で暮らす姉を蔑むように虐げる。

他人の人生に介在したことで、
その人の人生に少なからず幸せをもたらしたと信じてきた人。
介在されたことで、実はその人に人生の歯車を狂わされていた人。

苦労しながら女腕ひとつで娘を育て上げ、
娘に亡き夫と自分の夢を託す母親。
それを、親に束縛され、謳歌すべき自由を奪われたと糾弾する娘。

どちらが正義で、どちらが悪であるのかを裁くことに、大した意味も価値もない。
誰もが犯してきたであろう善意という名の悪行への気づきを、
読む者に、それこそ「イヤというほど」ぶつけてきます。

というわけで、湊かなえという深くて暗い沼にはまっていってしまいそうです・・・
  

テーマ:読書感想文 - ジャンル:小説・文学

2018.10.18 | コメント(0) | トラックバック(0) |

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埼玉のへそ曲がり

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オートバイと
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