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朝倉かすみ『平場の月』

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この小説を読むことにしたのは、
帯に「朝霞、新座、志木———」と見慣れた地名が載っていたから。
しかも、「50年生きてきた男と女には、老いた家族や過去もあり———」とあって、
しかも、嫁と子供に出て行かれた独り者が主人公であるらしい・・・
「おいおい、ほとんどオレのことじゃねーか」と瞬間思ったからでありました。

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中学、高校とそこそこ目立つグループに属し、
調子よく生きてきた主人公の青砥は、地元の印刷工場で働いている。
ある日、健康診断でちょっとした異状が見つかり、
精密検査を受けに行った病院の売店に、
中学時代にフラれた幼なじみの須藤という女性が働いていることに気づく。

須藤もまた、充分に後ろめたく思えるような過去を経て、
今は地元に戻って一人で暮らしていた。
そうして再開した二人は惹かれるでも離れるでもなく、
恋愛なんて価値感からはとうの昔に離れた50代らしい
微妙な距離感を保ち続けながら「幼なじみ」を続けていく。

青砥の検査結果には特に問題はなかったのだが、
今度は須藤の方にがんが見つかってしまう。

そうして青砥も須藤の大切さを実感し、
いよいよ二人は幼なじみから「そういう仲」になっていくのだが、
抗がん剤治療も1クール終え、2回目の検査を終えたある日、
須藤は突然、青砥に別れを告げる———

簡単に説明するとこんな話だ。

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最終的に別れることを選んだ須藤の気持ちに
50代の、そして、都心から遠くもなく、かといって近くもない、
故郷以下、住み慣れた場所以上の街に
ぐるっと一周するように戻ってきた者特有の、
微妙な後ろ向きさ加減が垣間見える。

似たような人生を送るものとしては、骨身に染みると言うよりも、
何とも自身のはらわたをえぐられているような描写に
はっきりと嫌な感じの拭えない話でありました。

それは、生まれ育った場所も、生き方も中途半端な50代の心情を
見事に突いていたからに他ならない。
だからこそ、
相手を自分の勝手ごとに巻き込まないように思いやる気持ちと、
巻き込まれることで、自分の気持ちに正直になろうとする気持ちの間で揺れる
団塊でも団塊ジュニアでもない狭間世代の
オジサン、オバサンの事情には胸が詰まらされる。

50にもなると、どれだけ真剣に相手のことを想っても、
結局相手のことを完全に理解することができないという、
若い頃は勢いだけで突破できていた当たり前の真理に行き着いてしまう。

勢いや情熱だけで相手のやさしさに甘えたりせずに、
自身の生き様として強くあろうとする姿がなんともやるせない。

見渡す限りの畑だったこの場所が、
50年前のブームに乗って新興住宅地として生まれ変わり、
都心に近いこともあり関東の様々な場所から
この地に移り住んできた人々の、
子孫としての50歳の意味を伝えるための地元の描写はほとんどなく、
住んだことのない、この地域に馴染みのない人には
ちょっとこの微妙な空気感は伝わらないだろうな。と
感じるところが地元民としてはちょっと惜しい。

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別れを呑み込めない青砥は往生際悪く
1年後にまた会おうと約束をする。
そうすることで二人の絆をギリギリ保とうとするのだが・・・

果たして、再会した二人はどうするのか?
その時になって知る須藤の本当の気持ちを
青砥は理解できるのか、できないのか。
そして須藤は青砥の本当の気持ちを理解していたのか、していなかったのか。

男であっても女であっても、読む人それぞれに十人十色で答えは変わるだろう。
興味がありましたら、是非ご自身の答を読んでみてください。
『平場の月』なかなか50代の胃に来る小説でありました。

_ _ _ _ _ _ _ _ _ _ さて明日の土と雪と:は _ _ _ _ _ _ _ _ _ _
ヨセミテ国立公園にそそり立つ『エル・キャピタン』の南東壁を、
道具も命綱もなしで登りきる前人未踏の挑戦を記録し、
2019年アカデミー賞 長編ドキュメンタリー賞を受賞した
史上最高のスポーツドキュメンタリーと謳われる『フリーソロ』の感想です。
超絶に良い映画でした!お楽しみに。
  

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2019.09.12 | コメント(0) | トラックバック(0) |

リバース

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子どもの頃からずっと、波風立てず、目立たないように過ごしてきた
事なかれ主義でモヤシ的、そしてヲタク的な深瀬がこの物語の主人公。

大学を卒業し事務機の販売会社に就職して2年。
趣味と言えるようなものはまったくなく、
唯一、美味しいコーヒーを煎れることに心血を注いでいた深瀬は、
近所にできたコーヒー豆のショップで美保子と出会う。
そうして美保子は深瀬の人生初のガールフレンドとなるのだが、
その美保子の元に「深瀬和久は人殺しだ」という手紙が届く・・・

面倒や争い、場合によっては人目までをも避けて、
何事もなく生き抜こうと願ってきた
水を打ったように静かだった深瀬の人生に、
唐突に巨大な波紋が広がる。

ただのイタズラなのか?
殺人を告発する手紙の真意とは?
深瀬の過去に一体何があるのか?
誰がこの手紙を書いたのか?
どうして美保子のことを知っているのか?

湊かなえの小説には最後のオチに痛烈なカウンターパンチか、
もしくは強めの爆弾が仕込まれていることが多い。

それらは「どんでん返し」なんていうタイプのものではなく、
明らかに読者も巻き込まれる「自爆系」の時限爆弾で、
登場人物だけでなく、読んでいるこちらまで
とばっちりを受けるような種類の爆弾だ。

最後の1ページのためだけにすべての伏線が張られており・・・
いや、「伏線」という表現はこの場合すでに間違っているかもしれない。
なぜならそこまでの流れがすべて裏切られるように
思いもよらない完全な圏外から爆弾が投げ込まれてくるからだ。

ラストシーンに至るまでに、すっかり深瀬に感情移入させられており、
自分が登場人物と置き換わるような、
強制的に置き換えられるような状況で、最後の一行が突然爆発する。

他人事である以前に、小説の中の空想の話なのに、
我が事のように不快な気分を体験させられてしまう。

それほどに、最後の1ページまでの展開が超絶に面白く、
人物像が念入りに作り込まれた登場人物にすっかりと思い入れを持たされ、
その立場できれいな決着を願っていると、
それは突然に裏返し(リバース)になって砕け散る。

すっかりハマってしまった私は1日で読み終えてしまったほど
最後まで面白い本であることは確かだ。

だからこそ、最後の1ページの破壊力がスゴすぎる。

この破壊力になんとか反抗しようとしている自分に気づくと、
改めて自分はMではなくSなのだと自覚できたほど。

中でも『山女日記』のようなジ〜ンと胸を締め付けられるような
良い話が大好きな私なので、
ついそちら方面の結末を願って読み進んでしまうのだが、
そのおかげで余計に破壊力は抜群。

そういった小説もこういう裏切りのために書かれている
伏線なのではないかと勘ぐりたくなるほど、
湊かなえという小説家は作風のコントラストが強い作家さんであります。

_ _ _ _ _ _ _ _ _ _ さて明日の土と雪と:は _ _ _ _ _ _ _ _ _ _
クリント・イーストウッド監督の最新作であり、
久しぶりに自ら主演も務めた『運び屋』の感想です。
やはりイーストウッドの演技はシブい。シブすぎる・・・
  

テーマ:読書感想文 - ジャンル:小説・文学

2019.07.25 | コメント(0) | トラックバック(0) |

ユートピア

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他人の不幸は蜜の味。

とはよく言ったもので、他人を下げることで安心感を得てしまうことは、
悪いと知りながらでも自己防衛としてついしてしまう小さな罪のひとつだろう。

SNSなんてない時代から、
人は多かれ少なかれ噂話や誹謗中傷などを踏み絵やリトマス試験紙に使って、
コミュニティの中での自身の立ち位置や属性など、
周りの人々とのバランスをとってきたのだと思う。

出身地や、住んでいるエリア、世帯収入に至るまで、
コミュニティのレベルを逸脱したりすれば、
それは妬みや嫉みの対象となってしまう。

大手食品加工メーカーの工場があり、
そのメーカーの存在によって成り立つ地方の町が今作の舞台。

先祖代々の昔からその場所と共に生きてき来た人。
食品メーカーの転勤でよそからやって来た人。
そして、この町の海沿いの美しい景観に魅入られ、
ここを芸術の町として発展させようと考えた芸術家たち。
そんな3つの、立場や美意識、哲学の違う人々が、
町の中心にあるユートピア商店街で、
混ざるともなく交わっていく姿が描かれる。

昔あった未解決の殺人事件なんて、
サスペンスとしてのエッセンスもあるにはあるが、
それ以外は商店街で起こるちょっとした事故や事件がほとんどで、
得体の知れないバケモノや、政府の陰謀、
町にサイコパスが潜んでいたり、なんてことは一切ない。

どこにでもありそうな商店街の裏側でやり取りされる、
噂話という膨大な情報だけで物語が形成される。

その情報は特に脚色されているわけでも、
大げさに語られたりするわけでもなんでもない。
他愛のないただの噂話でしかないのに、
どうしてこれほどまでに読む者を魅了するのか。

それは、噂話を生み出す人間の想像力の逞しさと、その力の持つ恐ろしさを、
湊かなえという人は猛烈に肯定しているだからだと思う。

登行時の子供の列にクルマが突っ込み、
子供の一人が歩けなくなってしまう心的外傷後ストレス障害を
追ってしまうのだが、その子にだけ補償が出たことに関して、
「うちの子だって怖い思いをしたのに、あの子の家だけズルい」といった
噂話が語られる。

ただの僻みや日頃の鬱憤晴らし目的でされた、ただの軽口であるのだろうが、
その子供の親の立場に立って考えてみれば、
その噂話の方が事故自体よりもよっぽど恐ろしいことであることに気づける。

他愛もない狭い世間の噂話に少なからず苦しめられる登場人物、
そして、噂された人間もまた、誰かのことを悪く解釈してしまう。
人間のもつ負の想像力が小さなコミュニティの中で
次から次へと伝染していく様が描かれます。

そして、
美大卒の芸術という数値で顕せないことをやっている自分に酔って、
美術や芸術に疎い人間を見下す習性については
私にも思い当たるところがないでもない。
そんな表だっては肯定されないが、
意識の奥底で知らず知らずに周りと分断していく様子も披露され、
これがまた辛辣であったりする。

いつか町を離れていく人。
離れたくても一生この町から離れられない人。
ここを終の棲家と決めて、町を盛り立てようとする人。

そんな経済活動やプライドといった因子も絡みながら分断されていく親たち、
そして、分断されていく大人たちを見つめるその子どもたち。

四者の希望と絶望が、小さな田舎町で緩やかに激突していき、
舞台裏で進行していた無邪気な悪意によって、
物語は思いもよらないような結末を迎えます。

そんな、どこにでもあるような「理想郷」と呼ぶにはほど遠い町の片隅で起こる、
どこにでもあるような「他愛もない悪意」を集めた物語。

それなのにその事から目が離せなくなるのは、
やはりこの物語が、読む者の日常と絶妙にリンクするからだろう。

間違いなく傍観者なのに、なぜか当事者のように身につまされてしまう。
否応なく読む者を物語に引きずり込む巧妙な仕掛けが、
この小説のあちらこちらに仕掛けられています。

_ _ _ _ _ _ _ _ _ _ さて明日の土と雪と:は _ _ _ _ _ _ _ _ _ _
20世紀FOX版としてはこれが最後となる『X-MEN ダークフェニックス』の
感想をお届けしたいと思います。お楽しみに。
  

テーマ:読書感想文 - ジャンル:小説・文学

2019.06.27 | コメント(0) | トラックバック(0) |

物語のおわり

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大きな街へ行くには山を越えて行かなければならないような山間部の小さな町。
そこで暮らす中学生の絵美は、山の向こうにひろがる世界を空想しながら、
ノートに小説のまねごとを書きためていた。

実家の小さなパン屋を手伝っていた絵美は、
昼食のサンドイッチを買いに来ていた高校生の公一郎、
“ハムさん”と出会い、いつしか付き合うようになっていった。

取るに足らないような毎日を過ごしながら、
二人は親の公認をとりつけ、ハムさんと婚約を済ませていた。
そんなある日、街へ出て行った友人から、
有名小説家の弟子になる誘いを受ける絵美。
その誘いに乗るにはハムさんとの関係は断つ必要があり、
地元の町での堅実な生活を選ぶか、自身の夢を選ぶかの狭間で揺れる。

そして、町を出る決意をした絵美は、一人バスに乗って駅に向かうが、
そこには事を察したハムさんが待っていた・・・

というところで終わるコピー用紙に書かれまとめられた
私信のような小説『空の彼方』を、北海道へ向かうフェリーで、
萌という少女から受け取った智子。

智子は父親をがんで亡くしており、
智子自身も妊娠後にがんが発覚していた。
それでも子供を産むと決意した智子は、
思い出の地である北海道へと、フェリーで向かっている途中であった。

その唐突な物語の終わり方が、果たして意図された表現なのか、
もしくは書きかけなのかも不明な『空の彼方』であったが、
「現実を生きるか、夢に挑むか」という誰しもに訪れる
究極の選択で終わることに、智子はこの物語の伝えようとする意図を汲み取る。

そうして智子は、この物語の主人公の絵美が、
駅で待っていたハムさんに説得され、その場は一旦家に戻るが、
きちんとハムさんを説得して改めて夢に挑んでいく絵美を想像し、
それが『空の彼方』の結末であると想像する。

プロカメラマンになる夢を諦め、家業を継ぐことに決めた拓真は、
富良野のラベンダー畑で観光中の身重の女性にカメラのシャッターを頼まれる。
そのあとその身重の女性と、周辺のラベンダー畑を
自身の車に乗せて回ることとなった拓真は、その女性に
夢との決別を誓って訪れたのが今回の北海道旅行であることを告げる。

その身重の女性が前章の智子で、
別れ際に智子は『空の彼方』を拓真に託すことにする。
拓真は、芸術を志す者は夢を追う前にまず自身と向き合う必要があると
その未完の物語から答を得る・・・

そうして『空の彼方』は、
映像制作会社に内定が決まり、北海道に輪行に来ていた綾子、
学生時代に付き合っていた彼女が妊娠し、そのまま学生結婚して
苦労しながらも一人娘を育て、
久しぶりにオートバイで北海道にツーリングに来ていた木水、
少女時代に憧れた年上の男性への思いを、急激に冷めてしまうように無くし、
以後40才を過ぎるまで脇目も振らずにキャリアに没頭してきた
あかねの手に渡っていく。

そうして様々な人々に気づきを与える『空の彼方』を最後に受け取ったのは、
ハムさんこと、公一郎であった・・・
公一郎は実在しており、そしてこの物語は実話であったのだ。

そして、『空の彼方』には実はつづきがあることが知らされる。

というお話。

個々の登場人物の『空の彼方』への感想が、
それこそその人生ごとに違い、そのどれもに共感できてしまう。
それほどに、退屈にも思える変哲のない毎日が地続きのような人生と、
「夢」という不確かなものへの羨望という2つの人生の岐路は、
それを掴んでも、そこから逃げても、どちらにしても
その人生に意義をもたらすものだと、読む者に伝えてくる。

もちろん、最後に明かされる『空の彼方』の本当の結末にも
グッとさせられるとても良い話です。

湊かなえという作者の懐の深さを、
またしても痛烈に知らされた快作でありました。

_ _ _ _ _ _ _ _ _ _ さて明日の土と雪と:は _ _ _ _ _ _ _ _ _ _
2015年公開、鬼才テレンス・マリック監督作『聖杯の騎士』の感想です。
お楽しみに。  

テーマ:読書感想文 - ジャンル:小説・文学

2019.06.20 | コメント(0) | トラックバック(0) |

山女日記

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ポイズンドーター・ホーリーマザー』で
その仄暗い世界観に今頃になってハマってしまった湊かなえの小説ですが、
すでに多くの作品が発表されており、
これからしばらくは次に何を読むかで悩むことはなさそうだ。

(ただ、本屋であれやこれやと物色している時間も嫌いではないので、
 それはそれで良いのか悪いのかは考え方による)

前にも書いたが、湊かなえの小説のもつ陰鬱な暗さに惹かれたので、
次に読む作品も、もちろんめっぽう暗いのを。と思っていたのですが、
作者別に並べられた湊かなえの棚を行ったり来たりしながら、
目にとまったのは、意外にも短編集の『山女日記』であった。

相変わらず他人(特に女性)を見つめるその観察眼は鋭いままではありますが、
今作はどこにも陰鬱な部分は見受けられない。
むしろどこまでも爽やかな心温まる物語たちが紡がれている。

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「妙高山」
「火打山」
「槍ヶ岳」
「利尻山」
「白馬岳」
「金時山」

と、各話に付けられた山の名前は、
山好きなら一度は聞いたことがある山の名前ばかりだ。

でも、それらは舞台装置として想像しやすくするためのギミックでしかなくて、
読む者に「その山に登ってみたい」と思わせるような描写もなくはないが、
山や観光地を紹介するような文面にはほとんどなっていない。
だからこの小説ではその題名にそぐわず、それらはあくまでも背景でしかない。

描かれるのは、様々な悩みや課題を抱えた女性たちが、
雨が降ったり、霧がかかって景色が見えなかったり、
インスタントコーヒーが泣きたくなるくらい美味しかったり、
道具の大切さを地上にいるとき以上に感じられたりしてしまう
山という場所だからこそ向き合える、自分自身と真正面に対峙する姿だ。

結婚、不倫、友情、同僚、姉妹、親子、夫婦、そして過去と未来。

「来なければよかった」と、
後悔を伴うような苦しい山行の果てに、
気持ちの良い景色や、美味しい山小屋の食事に出会うように、
山頂までの行程で後悔や反省、自身の中で渦巻く疑念に関して逡巡し、
その先に希望というゴールを経て、人々は下山していく。

その逡巡の道筋に、湊かなえにしか見つけることのできない、
小さいけれど、決して捨て置くことのできない、
一人ひとりが抱える重荷が浮き彫りになります。

そして、今作でもそれらの逡巡が、決して他人だけのものではなく、
読む者一人ひとりに(男であっても)思い当たるものばかりで、
身につまされながらも、自身も答を見つけられるのではないかと
読み手にも希望が与えられます。

山ガールなんて言うと、イメージ先行の軽薄なブームにも見えかねませんが、
山と無関係に都会で暮らす女性たちが山を目指しはじめたのは、
そんな山の持つ浄化作用に、女性ならではの感受性が
自然と反応した結果なのだろうと、これを読んで思いました。

(今いる場所よりも標高の低い目的地の山頂を眺めながら)
「上を目指すのに、下を見ながら言うのって、おかしいと思いませんか」
「なるほど。でも、目的地は過去の中にあるのかもしれません」

かつて20歳そこそこでバブル経済に翻弄され、
その後の20年をそのときの価値感でしか生きられなかった
「バブルの残骸をまとった」女性が、
その呪縛から解放され、本当の自分自身に出会う「火打山」の話が
私は中でも一番好きです。

「火打山」はご存じの通り「妙高山」のお隣の山。
実はこの話は前話の「妙高山」と続きになっていて、
主人公は代わるが、登場人物もクロスオーバーしている。
つまり、登場人物たちは“縦走”している。
山は舞台の背景でしかないと言いましたが、
そんな山好きを喜ばせる仕掛けも散りばめられていて、
湊かなえという人がかなりの山好きであることが伺える。

山好きの人に悪い人は(たぶん)いない。

そんな人にあんな仄暗い世界が描けるのかと思うと
余計にこの人に興味が沸いてきた。

というわけで、次はいよいよイヤミスの女王、
湊かなえワールド全開の『ユートピア』を読まないとなりません。
  

テーマ:読書感想文 - ジャンル:小説・文学

2018.11.08 | コメント(0) | トラックバック(0) |

ポイズンドーター・ホーリーマザー

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いよいよ湊かなえの小説に手を染めてしまった。

映画『告白』や、『白ゆき姫殺人事件』を観ていたので、
なんとなく私とは相性良さそうな予感がしていたのだけれど、
完全に波に乗り遅れたと感じているへそ曲がりの私は、
他人から「あ〜やっぱり読むんだ」と言われるのが嫌で、
今まで湊かなえという作家を意図的に避けてきたのだが、
このタイトルのインパクトにはもう抗うことはできなかった。

私は知らなかったのだが、なんでも“イヤミス"というジャンルがあるらしく
湊かなえはそこで女王と言われているらしい。
“イヤミス"とは「読んだ後でイヤな気分になるミステリー」のこと。らしい。
つまり読書後の後味の悪さ、
下っ腹のあたりに居心地の悪さを感じるアレのことかと勝手に想像する。

そもそも私にとって、文学とは心の暗部や、
ポッカリと空いた空間を埋めるモノだったり、その空間そのものだったりするので
それをわざわざ「嫌な思い」という表現で表すのは違っているように思う。

そんな私も近頃になって『村上海賊の娘』など、
エンターテインメント色の強い小説も読むようになり、
そういった方面の小説を主に読まれてきた方の場合だと、
湊かなえが“イヤミスの女王"になってしまうことも分からなくもない。

そんな私にとって初の湊かなえ作品となる
『ポイズンドーター・ホーリーマザー』である。
そのタイトルだけでなく、これが短編集であったことも
今まで湊かなえを避け続けてきた私の背中を押してくれたように思う。

それはさておき、湊かなえの人間観察眼と、
そこから広がる想像力の逞しさには尊敬の念さえ抱いてしまう。

それも空想的な想像力ではなく、
現実に存在する、そして、どこにでもいるような人間の内部や暗部へ
深く深く潜っていくような観察力で、
そのすべての想像域に絶対的な現実感が伴っているところがすごい。

正義、悪意、国家、民族、宗教、そして家族。

人にはそれぞれの価値観があって、
どちらか一方の考えや主義・主張だけでは、事の善悪を計ることは決してできない。

誰かの正義は誰かの権利を奪っているのかもしれない。
誰かの愛は誰かを傷つけているのかもしれない。

そんな、誰しもが空気を読んだ気になって他人に押しつけてしまう
“余計なお世話”を、異常者や気の利かない人間がするのではなく、
ごく一般的で普通の人々がしでかしてしまう様を、
ごく自然に読む者の前に提示してくる。

でも、そもそも価値感が食い違っているのだから、
その双方の言い分を双方に納得させるのは、本来至難の業であるはずなのだが、
湊かなえという作家は、そんなすれ違いや矛盾点を、
誰の中にも眠る葬り去ったはずの記憶を呼び覚まさせることで、
とても簡単に、それでいて純粋に読む者に明示してくる。

独身のまま親の望むとおりに生きてきて、いまも実家で暮らす姉。
姉とは違い気ままに暮らし、異性に対してもあけすけな妹。
姉には厳しく言う母親も、そんな妹に対しては理解を示すフリをして
言いたいことを何も言うことができない。
そうしてできちゃった婚となり、出産のために実家に戻って来た妹は
姉の苦労など意に介さずに実家で暮らす姉を蔑むように虐げる。

他人の人生に介在したことで、
その人の人生に少なからず幸せをもたらしたと信じてきた人。
介在されたことで、実はその人に人生の歯車を狂わされていた人。

苦労しながら女腕ひとつで娘を育て上げ、
娘に亡き夫と自分の夢を託す母親。
それを、親に束縛され、謳歌すべき自由を奪われたと糾弾する娘。

どちらが正義で、どちらが悪であるのかを裁くことに、大した意味も価値もない。
誰もが犯してきたであろう善意という名の悪行への気づきを、
読む者に、それこそ「イヤというほど」ぶつけてきます。

というわけで、湊かなえという深くて暗い沼にはまっていってしまいそうです・・・
  

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2018.10.18 | コメント(0) | トラックバック(0) |

アイネクライネナハトムジーク

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大分に行くとき、羽田空港の売店でこの本を買ったのは
その寸前まで『AX』を読んでいたからだ。

“恐妻家のスゴ腕の殺し屋” という興味を惹きやすい設定以上に、
その設定だからこそ描ける「家族愛」の話だと
最後の最後に気づける周到な伏線の張り方など、
読書でできるエンターテイメントを分かりやすく体験させてもらった。

そんなちょっと感謝にも似た気持ちもあり、
売店の棚で見つけたときには悩まずに買うことができた。
そして、この『アイネクライネナハトムジーク』もまた
そんな期待を裏切らない、もしかしたら更に上回るレベルで
読む人を惹き込む読み応えのある作品でありました。

元々は伊坂幸太郎自身がファンだった斉藤和義に
「出会い」に関する楽曲の歌詞を頼まれたことがきっかけで、
歌詞は無理でも短編なら、と短編の執筆を引き受けたのだという。
そしてその短編は『ベリーベリーストロング〜アイネクライネ〜』という
曲になり、そのシングルカットの際に書き下ろした短編を加えた
二作から着想した書き下ろしを加えた短編集が、
この『アイネクライネナハトムジーク』なのだそうだ。
斉藤和義の楽曲をネタにした部分も多く、
斉藤和義好きなら尚更楽しめる小説だと思います。

ただ、短編集とはいえ、個々の物語は有機的に結びついていて、
きちんとすべてのゴールになるように結ばれているので
短編集と言えばそうだが、書き下ろしの一編だと思った方がいいだろう。

それは映画の『ラブ・アクチュアリー』のように
多くの登場人物たちの個々の物語を描きつつ、その人物たちが
どこかでつながりを持っているオムニバスのような設えになっている。

そして、恋愛に関する物語であることも共通している。

さまざまな人々の恋愛に関する物語が、ウィンストン小野という
日本人初のヘビー級チャンピオンの活躍と紐付きながら、
彼ら自身、そしてその子どもたちに至るまで、
時空を超えて絡み合い、互いに影響しながら物語が綴られていきます。

ただし、あまりに登場人物が多く、
その人物がその後どこでどの人物と関係してくるのか、
それぞれがその後の物語の伏線を隠し持っていて
旧姓であったりすることも含めて名字をあえて伏せてあるので
余計に登場人物のつながりを覚えきれない。

加えて、現在、7年前、14年前など、
時間軸を同列に語られることもあるので、
尚のこと私のCPUの処理速度では追いつかないことも多く
せっかくの良い話がすんなりと入ってこないところは少々残念でありました。

今作も映画化が決定しており、
2019年秋に公開予定だそうです。
映画の紹介文を読むと、この本で私が好きな部分が
きちんと描かれているのか、かなり不安になる書き出しで、
私は観には行かないと思いますが、映画化されるほどなので
面白い物語であることは保証済みですかね。

言ったように300ページを超す一編の本なのですが、
各章ごとに読み切れる短編集であることは確かなので、
たまに開いて読みたいという方にも読みやすい作品だと思いますし、
何冊か同時併行して読まれる読書の虫にも最適な一冊だと思います。
  

テーマ:恋愛小説 - ジャンル:小説・文学

2018.10.11 | コメント(2) | トラックバック(0) |

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埼玉のへそ曲がり

Author:埼玉のへそ曲がり
オートバイと
スノーボード。
近ごろ波乗り。

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