村上春樹『海辺のカフカ』

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新刊で読むものがなくて(正確には読みたいものがなくて)、
かといって、もう一度読み返したい作品もなく、
半分仕方なく、半分積極的に、まだ読んでいない
村上春樹の『海辺のカフカ』を読むことにした。

もちろんamazonで古本を探して買った。
ちなみに各巻1円。送料併せても2冊で426円・・・
発送の手間を考えても、輸送業者を儲けさせているだけのように思うが、
なんにせよ有り難いお話だ。遠慮なく享受させていただく。

さておき、
海辺のカフカは2002年の作品で、村上春樹の10作目の小説らしい。
15年前の作品だからどうというわけでもないとは思うが、
結論から先に申し上げて、
やっぱり村上春樹は苦手。という思いを新たにした。

好き嫌いではなくて、苦手というあたりで察していただけると有り難いし、
何より、語ることなら死ぬほどある村上春樹という作家の存在は、
日々のネタに困るブロガーにはとても助かる存在なので、
ただの言いがかりと取っていただいても構わない。

さておき、村上春樹は長いこと「読まず嫌い」を通してきた作家なので、
当時、話題性だけで読んでみた『ノルウェーの森』を除けば、
本格的に読み出したのは2013年発行の、彼の13作目にあたる
色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』からということになる。

というように、古い作品へ遡るように読んでいるので、
作家の時間軸に関する変遷とはまったく無関係。
そういう意味ではあまり「美味しくない読み方」かも知れない。

とはいえ、先に『海辺のカフカ』を読んでいたら、
『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』も『1Q84』も
読まなかったかもしれない(『騎士団長殺し』は読まなくてもよかった)ので、
私にとっては、ある意味これが正しい読み順だったのかもしれない。

というわけで、『海辺のカフカ』は村上春樹の基本的な特性が、
色濃く籠められている作品だと思った。

それは煙に巻くような、不可解で、答の無い物語だ。

村上春樹は「そうして不可解に感じた部分を読み返してもらえたら嬉しい」
と語っているようだが、私には無理だ。読み返したいとまでは思わない。
それほどに、読み終わった後の徒労感の方が大きく残る。

幽霊はいるのか?
死後の世界はあるのか?
そもそも死とは何か?

など、世の中にはどんなに大切なことであっても、
考えるだけ無駄なことも多いので、そこにいちいち答などなくてもいいのだが、
たとえば、この物語に出てくる13歳の「田村カフカ」の父親が殺されたことの、
ある程度の定義づけくらいはして欲しい。
そうでなければ人を殺したという自責の念に嘖まれながら、
長旅の果てに亡くなった「ナカタさん」の立つ瀬がないように思う。
ナカタさんは、あんなに良い人なのに。

そんな、あえて解答の提示を避けるような作風にあって、
逆に「誤魔化されている」「はぐらかされている」と感じるのは、
幻想的で、スピリチュアルな世界観以外のディテールが、
その文才と併せて、かなり精密に描かれていることの反動だと思う。

中でも私は、ひょんなことからナカタさんと旅することになる
「星野青年」のことが大好きだ。
特に、下巻の第46章の彼の独白の場面が大好きだ。

そういう情景豊かで、とても感情移入のしやすい良い物語を紡いでいる部分と、
読み手の創造力を試すような、そしてそれを弄ぶかのような部分が
混在していることが苦手だ。

もちろん、どこまでが “弄んでいるのか” の判断基準は、
人ぞれぞれだと思う。ちなみに、私の場合を申し上げれば、
『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』では、
灰田の父親が山中の旅館で出会ったジャズピアニストの緑川の話くらいしか、
その “弄ばれている” 部分はなかったし、
月が2つ存在する『1Q84』の世界は確かに異常だが、
それをひと度デファクトな状況として理解さえしてしまえば、
以降、おかしなことにも感じなかった。

なので、『色彩を持たない〜』『1Q84』、この二つの作品以外は苦手だ。
たまたまこの二作を先に読んだために、
遅まきながらも村上春樹を読み出したので、今さらその事実に気づいた次第。

ノーベル文学賞の候補になるくらいなんだから、
ズレているのは私の方なのだろうが、
それでもなんでも、苦手なものは苦手なのだ。

とか、書いていたら『1Q84』を読み返したくなってきたな。
つまり、まあ嫌いではないと言うことだ。
今後も村上春樹の新作が出れば読むだろうけれど、
これ以上、以前の作品を読むことはないだろうと思う。
そんなわけで、今後発表される作品が、私寄りの作品であることを願うばかりだ。
  

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2017.10.05 | コメント(0) | トラックバック(0) |

蜂蜜と遠雷



奥田 陸の『蜂蜜と遠雷』を読みました。

内容を一言で言うと、ピアノコンクールを舞台にした「スラムダンク」、
「キャプテン翼」、もしくは「ドカベン」。ひょっとして「美味しんぼ」。

すでにこの世を去った、業界に一家言ある世界的に著名な音楽家が、
彼のコンクールの参加に際して、
まるで遺言のような推薦状を持たせるほどの天才少年、風間 塵(かざま じん)。

かつて天才と謳われその名を世界に轟かせたが、
母親の他界を機に、ピアノへの情熱を失ってしまった、
これまた天才少女、栄伝亜夜(えいでん あや)。

次代を担う世界的な音楽家を師事し、すでに完成された音楽観を持ち、
実績も充分以上に積み上げてきている、
優勝候補筆頭のマサル・カルロス・レヴィ・アナトール。

この実力者三人以外にも、家族を持ち、年齢的にも、
そして環境的にも恵まれているわけではなく、
これが最後のコンクール出場になると決意するピアニスト、高島明石など、
個性豊かな三人の天才と、決して才能に恵まれてはいないが、
情熱を持って音楽に取り組む者たちが織りなす人間ドラマが
この『蜂蜜と遠雷』。

物語は「吉ヶ江国際ピアノコンクール」の、
エントリーから、第一次〜二次〜三次予選、そして本戦までを、
コンクールの進行に沿って描かれていく。
なので、本編のほとんどはコンクール開催期間中の数日の出来事。
それでも、上下二段組みのページレイアウトで500ページに及ぶ大作は、
そのほとんどが演奏中の無意識の意識と、
それを聴く者の感慨や感想で構成されている。

もちろん、文章だけで、実際に聴いているように表現することはできない。
実力者達の演奏を、客席に陣取るライバルたち、審査員らが評することで、
あたかもそれが自分の感想であるかのように読み聞かせながら、
素人には垣間見ることすら出来ない、高度な技術を解説する手法は、
そのまんまスラムダンク。

クラシックなんて1mmも聴かない、
ピアノコンクールなんて、その存在自体知らなかった私にとっても、
まるでスポ根ドラマのような、ライバル達とのしのぎを削る
切磋琢磨の様子と、互いを認め合う、高度な技術と感度を持ち合わせた
好敵手同士だからこそ共鳴し合える世界観には、
読んでいて素直に没入することができました。

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なので、読み進むにつれ、「オレは仙道」「私はゼッタイ流川」
「海南の牧もシブいぞ」「やっぱり花道でしょう!」といった具合に、
おのずとご贔屓の登場人物が決まり、
素直にその人物の活躍やその才能が評価されていく様を、
我が事のように楽しむことができるので、
このコンクールの行方と結果を、ドキドキしながら、
最後まで一気に読み進むことが出来ます。

つまり、かなりストレートな青春活劇と言っていい作品だと思います。
誠に分かりやすい一冊でありました。

ただ、音楽の表現技法や、演奏者の思い入れ、もっと言うと、
作曲家がその曲に籠めた思いや、曲が書かれた時代背景に、
情景描写などを説明する文章は、私にはあまりに詩的に過ぎ、
少々過剰表現に感じられてしまう部分もありました。
気持ち胃もたれ。よってナナメ読み。

逆に、そういった詩的な文章表現がお好きな方なら
尚楽しめる作品ではないでしょうか。

ふだん本を読まない方にも、とても読みやすい一冊だと思います。
  

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2017.09.28 | コメント(0) | トラックバック(0) |

コンビニ人間

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良い本だった。
本当に良い本だった。
こんなに良い本を、久しぶりに読んだとさえ思った。
『教団X』のあとだったから、余計にそう感じたのかな)

「本」とは何なのか?「本」に何を求めるのか?は、
それこそ千差万別、十人十色だろうから、
私のこの評価を押しつける気はサラサラないが、
ここのところ「小説のための小説」ばかりを読んでいたことを、
この『コンビニ人間』が私に気づかせてくれたことだけは、
皆さんにもお伝えしておきたい。

この本にはいわゆる題材というやつが、前提にある。

何を伝えたいのか?が前提にあると思った。

そんなのあたりまえだと思われるかもしれないが、
「小説のための小説」には、その前提を見えにくく、煙に巻くことが、
あたかも「クールだ」と言わんばかりの姿勢が、時に感じられてしまう。

真っ直ぐに見えるものは私にも見えるので、
書き手が斜に構えたり、物事をナナメに見たりすることは、
小説を生み出す上でとても重要な作業だ。

行間を想像で埋めることも読書の嗜みであることは認めるが、
そうして書き手が抽出した「伝えたいこと」は、
是非真っ直ぐに読み手に伝えて欲しい。
その上で、文体やスタイルでクールさを表現して欲しい。と、私は思う。

禅問答のような話になったが、
『コンビニ人間』の真っ直ぐさは、昨今では希有な価値があると思う。

ルールや社会の中に生きる人間として、
価値観の多様さを信じながら、自分の価値の輝きを信じながらも、
単一の価値に身を寄せざるを得ないという矛盾。

35歳の女性が、結婚もせず、定職にも就かずに
コンビニのアルバイトを続けると、様々な隣人達から、
その生活を是正するように勧告される。

確かにそれは恥ずかしいことかもしれない。
その年齢にもなれば、幼稚園児くらいの子供がいて、たとえ裕福ではなくとも、
夫と共に家族を守っていることが、“一般的" なのかもしれない。

でも本当にそうなのか?

子育てする家族にだって、女性にだって、
一般的で、単一な価値基準だけでなく、
それぞれに様々な価値や考え方があるのではないのか。

そして、なぜ人は他人にお節介をやくのか。

なぜ、わざわざその違いをあげつらって干渉してくるのか。

「あなたのため」と言いながら、
なぜその人のためにならない非難を繰り返すのか。

他人を見下すことで、安心できることでもあるのか?

稼ぎ口がコンビニのアルバイトだと、何か不都合でもあるのか。

コンビニで働くことと、大企業で働くことに、
どれだけ内容の違いがあるのか。

結婚してると偉いのか。

定職に就いていると偉いのか。

時に人は、収入の安定や、年金制度などの社会保障、
人類の繁栄、存続を理由に、カタにはまった人生を他人に対して強要してくる。

寄って暮らす社会を安定させるため、
不安定さを生む異物を排除しようと、半自動的に採ってしまう是正行動。

でも、特に趣味などなくても、食べるものに味などなくても、
それで良いと思えたら。

むしろ、コンビニで働く事が唯一の生きがいだと感じられたら。

その生き方を認めることができたら。

自分の中の、一体何が、そういった生き方を認めることを拒むのか。

私は社会のルールを破ってまで、他人の平安に揺らぎを与えてまで、
自由に生きることが正しいと言いたいわけではない。
平均的に生きることの正しさを否定する気もない。
ただ、これを読んで、
自分の寄って立つ真理に、今一度疑問を感じることができた。

お金、家族、恋愛、就職、結婚。
現代社会に生きる人間達が、あたりまえだと信じてきた “決まり事” が、
本当はどういう意味を持つのか?一体なんのための仕組みなのか?を、
365日、24時間、絶え間なく回り続けるコンビニのパーツになることが、
与えられた使命、最高の幸せだと感じる一人の女性の視線を通して
あぶり出されます。

これこそ「本」でなければ伝えられない物語だと思う。
ほんの150ページの作品なので、あっという間に読み終わってしまいますが、
そのページ数以上に考えさせられる一冊でした。

映画化される「本」が評価される時代に、
本当に読書が好きな人に贈りたい、オススメ度:100の小説です。
  

テーマ:読んだ本の感想等 - ジャンル:小説・文学

2017.06.29 | コメント(0) | トラックバック(0) |

リーディンググラス つまり老眼鏡を作ってみた。

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花粉症は心の病のような部分が少なくないと、ずっと思っていた。
だから、自分が認めさえしなければ、症状を抑えられると信じて疑わなかったが、
ひと度認めてしまえば、昨今の花粉症薬の優秀さを知ることになり、
一錠飲んでさえしまえば、そのラクさ加減を知り、
「自分はいったい何に抗っていたのだろう?」と、誰もが思い直すことだろう。

老眼鏡も同じだ。

やはり、使い勝手の良さに対する予感以上に、
「これを使いだしたら終わりだ」といった、強迫観念も強く、
何より、「私はジジイです」と世間に宣言しているようなモノなので、
花粉症を認める以上に、そのハードルは高い。

私が汚い格好をして街を歩いていれば、
不快な思いをする人や、何より、私に少ないながらも期待を抱く方々を
失望させることもあるかもしれない。とか、
思ってはみたものの、
私がジジイで困る人がいるのか?と、我に返ってみれば、
そんな人いるわけもなく、同じジジイっぽい症状でも、
鼻毛が覗いている方がよっぽど他人様に失礼だったりする事に気づく。

と、思い直すに至り、いよいよ老眼鏡を作ることにした。

実は、すでに数年前から軽めの遠近両用レンズを使いはじめていた。
それは、手許を見るための老眼向きの近距離レンズが、
レンズ全体の下1/3に設えられたものなのだが、
気づくと、その部分が目の正面に来るように、
眼鏡を持ち上げて書類を見るようになってしまい、
その仕草の方がよっぽどジジくさいと思うに至ったというのが真相だ。

とか、あれこれ言い訳が長くなったが、
使わなくなった手持ちのメガネフレームに、
老眼用のレンズを入れただけなので、金額的にも騒ぐようなことでもない。

なのであるが、実際に使いはじめてみれば、
特に本を読むときの快適さに関しては、もう別格であることは言うまでもない。
おかげで本を読む時間がずいぶんと増えた。
続けて長時間読めるようになったので、一冊読み終わるのが早い速い。
というか、本を読むのが楽しくて仕方がない。

本題からおおよそ逸れるが、
同じ本を、時間が経ってから読み返すと、
最初に読んだときとは違う感想をもつ経験はあったが、
一息に読み切ると、更に違う “読め方” をすることに気づいた。

今までは、空き時間を繋ぎながら、
もしくは3冊くらい同時に読んだりしていたので、
ときには、次に再開するまでに1ヵ月経っていた、なんてザラだった。
だから、そこまでの物語の経過を、思い出しながら読んだりしていたわけだが、
今は、この老眼鏡のおかげもあって、
500ページくらいなら2日くらいで読み終わるようになった。
中にはもちろんすでに読み終わった本を読み返すことも含まれるわけだが、
前回は数ヶ月かかって読み終えた本を、数日で読み終えたりもするわけで、
そうすると、憶えていた内容と少なからず違って感じ取れたり、
前回は気づかなかった示唆に気づけたりする。
もちろん、重ねた年齢のぶんだけ感想が変わることもあるのだが、
それとも違う発見があってちょっとうれしい。

目は良いが、本を読む時間がなかった若い頃と、
目は悪いが、本読む時間ならたっぷりある今とを較べれば、
老眼鏡の効能は考えなくてもすぐにわかる。

小さなプライドなんぞ、すぐにでも放棄して、
老眼鏡を手に入れるべきでありました。
いやはや、まさに人生の視界良好であります。
  

テーマ:楽しく生きる - ジャンル:ライフ

2017.06.28 | コメント(0) | トラックバック(0) |

中村文則 『教団X』

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宗教は阿片だ。
と、『ヘーゲル法哲学批判序説』の中で説いたのはマルクスだが、
要は、宗教という存在は、薬にも毒にもなると、そういうことだ。

もちろんこの『教団X』も、その名の示すとおりに、
それがあからさまな毒として作用してしまった、
オウム真理教事件を土台に描かれていて、
国家の転覆を謀るテロを起こすところまで同じだ。

なので、カルト教団がなぜそういった行動を起こすのか?に関して、
さしたる説明はないし、読んでいる方も「そういうものだ」と、
言わずもがなの前提として読み始められてしまう。

だから、なぜカルト教団が国家の転覆を謀るのか?に関して、
もっというと、「彼らは一体何が不満なのか?」に関して、
私自身、よく考えたことはないことにも気づかされる。

今作は、そんな素直で単純な疑問へ、独自の見解と共に、
狂気に満ちた解答を提示している。

それは、「神の存在への挑戦」であった。

様々な逡巡の果てに「神の存在」へ行き着く者は多いが、
さらにその逡巡を「神とは何か?」にまで推し進めれば、
そこに答などないことがまた、更に大きな逡巡を生み出していく。

そこへの答に、科学的な見地を見い出したことで逡巡を終えられた「松尾」と、
そこから更に、その存在を “確認” しようとまでした「沢渡」という、
二人のカリスマが率いる、二つの「教団」の考え方に沿って、
神の存在をあぶり出そうと試みたのがこの作品だ(と思う)。

突如行方不明になった恋人「立花涼子」を探すために、
単身教団に乗り込む、無職の男「楢崎」から物語ははじまる。
教団Xの実質的なナンバー2である、
アフリカの紛争地域で生死の狭間を彷徨った男「高原」が、
実は「立花涼子」の異母兄妹であることを楢崎は知る。
しかも、二人は兄妹でりながら “恋人同士” でもあった。
そうしたどこにでもある恋愛感情のもつれから話はスタートするが、
次々に語り手はバトンタッチして行き、
ふたつの教団の内外にいる人間たちを追いながら、
最後にはその核心部に隠れる教祖の「思想」にまで到達していく。

一見、人間ドラマっぽくもあるのですが、
言ったようにこの物語の本質は、神の存在への挑戦にあるので、
そんな人間ドラマに付き合う必要は一切ない。

この小説においてのドラマは、言ったように、
二人のカリスマの、神への考察(これがまた長い)を読み込ませるための
プロットでしかないので、この際、無視して構わない。

神の存在を確認するために「教団」という団体を、
その存在が現出するであろう状況を生み出すために「信者達」を利用した、
教祖、沢渡の秘密結社、公安から暗号で「X」と呼ばれる宗教団体の物語。

そんな今作を読み終わって思うのは、
科学を読み解くほどの明晰さを持つ博識なのに、
結局「神は罪を罰するために現れる」という、
それはつまり悪魔崇拝でしかないという、
あまりにも稚拙な発想に辿り着いてしまっている点が、かなり、
か・な・り、残念だ。

発想が稚拙であることを横に置いても、
そうまでして渇望した「神の罰」の執行を待たずして執られた、
沢渡の最後の行動は、甚だ疑問だとしか言いようがなく、
まったく理に叶っていない。

ということに、600ページ近い本作中の2/3を読み終えた頃には気づいてしまい、
そのあと、大々的なテロが実行され、物語はいよいよ佳境へと向かおうとするのに、
すでにそこへの関心は薄まってしまっていた。
まだ200ページも残っているのに、これはかなり残念な仕打ちであった。


最近、このテの小説を読むと気になるのが、映画化の可能性だが、
神学的な要素を一旦外して、秘密教団のテロ行為を軸に
物語を再構築(再整理)して映画化したら、
そこそこ面白くなりそうな気もする。
その反面、『21世紀少年』のような失敗を辿る気もしないでもない。

『21世紀少年』で描かれたような、
マインドコントロールされた人々の描写には納得がいかないからだ。

たとえそれが狂信であっても、盲信であっても、邪教であったとしても、
宗教に囚われた人間が、薬物依存で目が曇った廃人のようになるはずがない。

その目的、理由がなんであれ、目的を得た人間の見せる気配や表情とは、
「自分探し」とか言ってる “平凡な幸福者” とは違って、
それこそ生き活きと、颯爽としているはずだからだ。

でも、ああでもしないと、単に「仕事だから」と、
今の状況を守ろうとする普通の人間の方が、
打倒すべき「悪」に見えてしまうであろうこともワカランでもない。

つまりそれは、阿片でも何でも、合法でも脱法でも、
人々に宗教が必要になってしまう、逆説的な理由の解明でもあるわけだ。

信じる者は救われる。

と、今作が描きたかったのは、そういうことなのかな?と、
思い至ってしまった次第。
これこそ作者の思うつぼだったのかな?

さておき、私の期待ほどには良い本ではありませんでした。
オススメ度:30。ブックオフで見かけたら読んでみてください・・・
  

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2017.06.22 | コメント(0) | トラックバック(0) |

村上春樹【騎士団長殺し】第1部、第2部。

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やはり、発売と同時に買ってしまった。
第1部、第2部、各定価¥1,800(税別)は安くないし、
何より単行本は持ち運ぶには重い。
なので、文庫化を待つのが得策なのだが、
村上春樹の新作だというだけで読まずにいられなくなってしまった。
お恥ずかしい限りだが、要は話題作に弱いミーハーな理由でしかない。

なので、読み終わったあとで、
「理由はさておき、良い本を読んだ」と思えることを期待して、
そして、村上春樹ならば、そうなる確率が高いことを皮算用したわけなのですが、
結論から申し上げて、残念ながら心から「おもしろかた」と
言える作品ではありませんでした。

私は、TVドラマでも、映画でも、物語に結論が欲しい人間だ。
小説なら尚更に。
示唆した物事に、それなりの論理的な解答で結んで欲しいと思う。
その解答が、ぴったりエンディングに結実されれば言うことナシだ。

どうやら、村上春樹という作家は、そもそもそういったことに
頓着しない(ことの多い)人のようだ。

科学的な理屈ではなくても、なんとか納得することのできる、
ギリギリ解答らしきものを受け取れることが、『1Q84』をはじめ、
ここ数作では実際にあったので、今回もそれに期待したわけだが、
今作に関しては、かなりの肩透かしを喰った。

幼くして亡くした大切な妹。
突然、理由もなく別れを告げてきた妻。
謎の多い金持ちから依頼される高額報酬の仕事。
世界的に有名な日本画家のアトリエに隠されていた大作。
アトリエの裏に見つかった古い祠と、井戸のような「穴」。
夜な夜な決まった時間にそこから微かに聞こえてくる鈴の音・・・

オカルトチックで不気味な出来事と、策謀と罠の匂い、
そこから逃れられない人間の弱さと過ち・・・
あまりに突然に、あまりに理不尽に妻に捨てられた男は、自分を見失いながら、
得体の知れない暗闇に引きずり込まれていってしまうのか・・・・・

・・・・・と思いきや、突如目の前に現れたのは、身長60cmほどの、
おかしな言葉遣いをする「イデア」を自称する奇妙な存在。
謎めいていた登場人物達には、実はそれぞれにとても分かりやすい重荷を、
その両肩に抱えている市井の人々だった。

ナチス以前のヨーロッパに、深い絵画への理解、
芸術家の思考論理への理解、シルバーのジャガー、プジョー205など、
読み手の創造力を喚起する情報の配置の仕方。
そのセンスと、ナンセンスの組合わせ方、それを使った気の惹き方など、
振り撒かれた謎たちが、答に向かって一気呵成に収束していくように設計された
物語の運び方や、文捌きは、さすが村上春樹と言わざるを得ないものでした。

そもそも、この題名は、本作を意味づける重要なキーワードではない。と、思う。
すでにそこからして「解答」を避ける、良い意味で読み手の期待を裏切るための
ギミックが進行していたようにも感じる。

「井戸のような穴の真実」、
「イデアとは如何なる存在なのか?」はもちろんのこと、
「森の中にあるという秘密の抜け道」、
「幼い妹の死との関係」、
「別れた妻の妊娠」、
「東北を巡った傷心旅行中に出会ったスバルフォレスターの男」、
「宗教団体に資産を吸い上げられている資産家の父親」、など、
そのギミックとおぼしき伏線は、結局「閉じない環」とでも言いたげに、
もしくは意味ありげに、謎は謎としてそこに放置されたまま終演を迎えてしまった。

上下巻ではないことを考えると、ひょっとしてこれは、
第3部以降が存在する、計画的な悪戯なのかもしれないが、
そういう主観による補完も含め、今はただただ、
ザワザワとさせられた気持ちもそのまま放置されてしまっている。

そんな、本にザワザワを期待するムキには堪らない作品でありましょうが、
お子ちゃまの私には到底無理だ・・・

ひょっとすると、スタジオジブリが今作をアニメ化したら、
(トトロが何者なのか?論理的に知りたいと思う人はいないだろう)
なんとなく納得してしまいそうな、そういう種類の物語でありました。
  

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2017.04.21 | コメント(0) | トラックバック(0) |

マチネの終わりに

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本を読むのは好きだけど、
読みたい本が見つからないという人は多いのではなかろうか?

それを理由に本屋を徘徊するのは嫌いではないが、
そんな状態で読みたい本に出会えるはずもない。
かといって書評に目を通すほど好き者ではないし、
「一番売れてます」みたいな本に手を出すようなお人好しでもない。

そんなヒネクレ者に『アメトーーク 読書芸人』と言う番組は、
ことのほか役に立つ。

この『マチネの終わりに』も、番組中で紹介されていた本だ。

番組中、様々に紹介されていた本の中から、これを選んだのはもちろん、
最近すっかり恋愛方面にご無沙汰になっている私の諸事情のせいだが、
音楽でも文学でも、そういう心の空洞に、自虐的に当て込むのが、
芸術のもつ効果効能が、一番高く顕れることもまた確かなので、
この際、臆面もなく傷口に塩を擦り込むことにする。

そんなわけで、こちらは恋愛小説だ。

恋愛に限らず、人間関係の困ったところは、
これだけコミュニケーションツールが発達した現代に於いても尚、
相手の本心が読み切れないという所にある。
だから、ちょっとした誤解やボタンの掛け違いで、
いとも簡単に、人と人とはすれ違って行ってしまう。

本当の意味で文学が取り扱う恋愛とは、犬も食わないような色恋話ではなく、
すれ違いを含めた、恋愛だからこそ巻き起こる、
様々な人間の苦悩や葛藤、そのものなわけだ。

誤解という行為はまた、当該人物の知能指数が高ければ、
情報不足かも、認識不足かも、なんていう不確実な可能性に頼らなくなるので、
そもそも「勘違い」とかいう、ミスがなくなる。
そして、「勘ぐり」や「決めつけ」なんていう低レベルな人間のすることは、
誇りに賭けて絶対に避ける傾向も顕著だ。

そんな知能指数の高い人間が、もし何かの要因によってすれ違うような
ことがあれば、そのすれ違い方は、凡人の勘違い以上に悲惨な結果となり、
その傷の有り様は、より文学向きな題材となるわけだ。

なので、若くして名声を手にした天才ギタリストと、
世界的に活躍する外国人映画監督を父に持つ、
紛争地域を取材する女性ジャーナリスト、という男女の物語は、
私のような凡人には、これ以上ないくらいに嫌みな物語でもあるのだが、
だからこそ描ける人間の悲哀と愚かさというものもある。

「これまでたった三度しか会ったことがなく、
 しかも、人生で最も深く愛した人。」

あなたはそんな人に出会ったことがあるだろうか???
私にはない。と思う。(ひょっとしたらいたのかも?
でも、気づけていない時点で出会ってないのと同じか)

そんな知識と教養に富んだ二人だからこそ、出会った瞬間から直感的に、
相手を自身にとって最愛の相手だと理解し、運命の相手だと認めることができたし、
相手に対する尊敬も、強い思いや確信もあったからこそ、
相手の「心変わり」にもすぐさま対応できてしまったわけだ。

しかして、それが悲惨だと言ったように、
相手の心変わりだと察したことが実は、
頭の回転が速すぎるが故の「早合点」であることに、考えが至らないのは、
まさに英知を授かった人間に与えられた「罰」のようなものだ。

しかもそれが、そんな二人の才能に嫉妬する、知能指数の低い、
自己中心的な凡人の横恋慕から発生した、
人為的な事故であるという部分がこの物語のミソだ。

人が人の運命を左右するようなことを、
悪意を持って行うなんてことが、「紛争地域以外で起こるはずがない」という、
知能指数の高さ故のミスジャッジを誘発し、
想像だにできないような、心を打つ残酷性を、そこに発生させている。

そんなわけで、才能や知識に富んだ人間たちが、相手を思いやりすぎる割に、
簡単に自分を卑下して考えてしまうその特性故に、
結果、運命の相手と、完全にすれ違ってしまうという残酷性は、
とても文学的な試みであるわけだ。

ラストシーンまで一気に読み切ってしまいたくなるような、
素晴らしいラブ・ストーリーであり、人間の無知と英知がせめぎ合って導き出す、
矛盾した解答のもつ儚さや、惨さを描いた文学性の高い一冊だと思います。

さておき、来週はバレンタインデーですね〜〜〜
私には何の関係もございませんが、チョコレートと一緒に、
こんなほろ苦い一冊をプレゼントしてみるのはいかがでしょう?
諸般の事情で心の澄んでいない方、澄んだ恋愛にご無沙汰の方に、是非。
  

テーマ:読んだ本の感想等 - ジャンル:小説・文学

2017.02.10 | コメント(0) | トラックバック(0) |

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埼玉のへそ曲がり

Author:埼玉のへそ曲がり
オートバイと
スノーボード。
近ごろ波乗り。

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